審判に日に

The Sagitarius
到達する目標に
臆することなく
ただ歩を進めれば良いのです。
結果がどうであれ、
審判の日は必ずやってきます。
その審判の日の後もまた、
結局は新たな目標に向かって
進んでゆかなければならないのですから。
歩を進めては審判を仰ぎ、
審判を仰いでは歩を進める、
人生と言うものは
このサイクルの繰り返しだと思うのです。
その真理に気付いた時、
もしかすると人は
その大いなるサイクルを畏怖し
時に、自ら進むべき道を
迷ってしまうこともあるかもしれません。
何故なら、
進むべき道を選びとり
審判を仰ぐということは、
つねに自らの言動が
正しくあるよう
求められるからです。
今成した行動、言動は
正しかったのか、
間違っていたのか、
そうした不安が
首をもたげ
行動的であったはずの
立ち居振る舞いが、
知らず知らずのうちに
保守的で、
どこにも動けなくなる
危険性をはらんでいるからです。
あなたが迷おうが、迷うまいが
必ず人生の節目節目で
審判の日は訪れます。
それに臆したところで
その審判は、
結局のところ
自分の成した事柄
相応の審判が与えられるのみなのです。
それが真理であるが故にこそ、
到達する目標に
臆することなく
ただ歩を進めれば良いのです。