死への哲学

The Scorpio
死の哲学。
死への哲学。
この世の中に
自身の死に対する
確乎たる死への哲学を
その胸に掲げている人が
どれだけいるのでしょうか。
中には逆に、
それを敢えて真正面から
直視しようとしない人も
大勢います。
死への哲学というものは、
我々人間にとって
必要な思想なのでしょうか。
しかし、その哲学の
必要、不必要に関わらず、
望む、望まざるに関わらず、
最終的に人は
その「死」に
直面しなければならないのです。
人はその「死」の際に直面した時、
どんな人でいられるのでしょう。
うろたえるのでしょうか?
それとも、
「死」をいつかは必ず直面するものとして
受け入れるのでしょうか?
いずれにせよ、
人というのはその今際の際に、
今まで生きてきた生き様が
死に際に凝縮されて
顕われるものだったりするのです。
そう。
それはその人自身の
生きた人生の中で積み重ねてしまった
その人の「業」・・・。
人はその「業」の深さに
合わせたかのように、
身体の機能を不能にさせていくものです。
そこに気付いた人は
幸福であるかもしれません。
自分が積み重ねた「業」を省みて、
その重荷を自らの肩から
降ろしていこうと
思う機会に恵まれたのですから。
多くの人は、
自分の重ねた「業」の重さに気付かず、
いつか必ずやってくる
死へと向かって時を進めていくのです。
あなたは、その生き様に積み重ねられた
「業」をその肩に背負い、
どんな死に様を思い描くのでしょう。
今、こうしている間にも
あなたは死へと向かって
時を進めているのです。
そういった現実にあって
あなたは
自分の死をどう哲学するのでしょうか?