個の自由という時代の到来

The Aquarius
何ぴとたりとも
あなたを束縛する理由は
一切ありません。
あなたは、この世の根源たる
摂理の名に於いて
完全なる自由である事を
ここに断言します。
規則や、しきたり、モラル。
そうしたものは
一見すると人という集団を
秩序足らしめるものであるように
間違って意識しがちですが、
そうではないのです。
本来、個人としての人が
良識を持った個であるのならば、
そうした規則、しきたり、モラルなど、
自分を縛る要素も理由も必要としないのが
もっとも
この世において
調和のとれた状態であるはずなのです。
つまり調律された世界と言うのは、
個人の世界。
個人の良識が各々調和し
結びついて一つの集団を成す
コミュニティーである状態が
望ましいのではないでしょうか?
ただ気をつけて欲しいのです。
あなたが自由である時、
他の人間もまた
自由である事を
認めなくてはならないと言う事を。
つまり、束縛というものが
いかに個人の人間性を奪うものなのか、
そこをよく考えてみて欲しいのです。
束縛する相手は、
あなたと同じ個人です。
この世の摂理によって自由を約束された
あなたと同じ個人なのです。
集結、共闘、団結、
こうした言葉を旗印に掲げる時代は、
とうの昔に過ぎました。
今この世を調和せしめている意識は、
すべて個人の体験の集積としての
集団、コミュニティー。
そこにはもう、
考えを供にした個人が集まり、
何か、例えばそれは
世の中だったり、政治だったり、
大きな集団の中へとアンガジェされるべき
いち個人であったり、
そうしたものはもう、
完全に消え去りました。
いや、消え去ったというより、
世の中の時代の流れの中で
通り過ぎていった、
そう言った方が正確かもしれません。
個人は自由であり、束縛される理由はなく、
そして他者もまた自由であり、
束縛される理由は無いのです。
もう久しく昔に
集結、共闘、団結、
こうした言葉をスローガンにして、
連帯感を共有する時代は
過ぎ去って、今はもう
そこには無いのです。
たとえ個人と個人が
互いに自立した考えを持って
手をつなぎ合う事はあったとしても。