哲学という意味

「コンセプト」という言葉を
とりあえずネットの辞書で検索してみると
このように出てきます。

1. 概念
2. 全体を貫く基本的な観点・考え方
(Google検索より)

一応、「概念」という言葉も
同じように検索してみますと、

1. 同類のもののそれぞれについての表象から
共通部分を抜き出して得た表象

2. 対象を表す用語について、内容がはっきり決められ、
適用範囲も明確な意味
(同検索より)

さて、
僕のこのブログの大半は、
哲学的な内容の記事となっています。
ここではっきりと明示しておきたいのですが、
僕の視座としては
『宗教や思想、自己啓発、スピリチュアルなものとは別物』
というスタンスを貫いております。

あくまで「哲学」であると。
まあ、そちら界隈からは
そのような論述でこっちに入ってくるなと
言われそうですが・・・(笑)

それでも、同類のものと捉える人もいるでしょうし、
上述のそれらと、哲学との違いが
わからない人もいるでしょう。
また、スピリチュアル的な何かと受け止めて
読んでいる人もいるかもしれません。

それは、「読む人」と僕の書く「文章」との
個々的な関係性の問題なので、
どういう関係性を持って読むのかは
当然、好きにしたらいいというのが
僕の考えるところです。

ではなぜ僕が
「哲学」という言葉を持ち出して、
そこで語るところを説いているのか。

それは、
「哲学」という領域が
人の知的活動にとって
もっとも根源的で、何物にとっても
先立つところのものであるからです。

故にそれは概念的な問題ですので、
形式的な言葉として
「哲学」という言葉を使いたくないのであれば、
別の言葉に差し替えても構いません。

とにかく、すべてのものに先立つ「それ」のこと、
つまり冒頭の
「コンセプト」とも換言できるものとしての
「それ」の重要性を、ブログを費やして
説いているわけです。

例えば、特に「物語」を引き合いに出すのが
分かりやすいかもしれませんが、
その「話」を作るにあたって必ず
「どういう話なのか」を説明する
コンセプトがあります。
これがないと、一体何の話かも
わからなくなってしまいます。

さらに、僕のようなミュージシャンであれば
曲や詞に関して、
やはり制作のどこかしらで必ず
コンセプトは何か?と問われます。

こうした「作品」と呼ばれるものだけでなく、
いわば「作品」を量産化した「商品」にも
もちろんコンセプトは存在します。

政治であれば「公約」という
コンセプトがあります。(守られませんが)

そして、今となっては
完全に忘れ去られている感がありますが、
本来であれば、
「学ぶこと」にだってコンセプトはあったのです。

学ぶことにコンセプトがあるということは
科学や技術、医療なども
コンセプトを有していることをも意味します。
それらは現代では「倫理」という形で
体系化されていますが、
この先にあるものこそが
細分化された学問のコンセプトであり、
それを哲学と(呼びたい人は)呼ぶのです。

すべての疑問は
『なぜそれは、それなのか』
あるいは、
『これはどういうものなのか』
というところに集約されていくものであり、
本来であれば、
人が生まれて最初に身につけるべき
叡智でもあるのです。

そして僕が記事にする文明批判の方便の多くは
哲学(コンセプト)をスポイルして
利益や成績を効率よく管理して向上させることへの
危惧と、そして時には怒りなのです。

コンセプトが抜けた
漫画や映画はは面白いでしょうか。
コンセプトのない作品は
触れてみたいと思うでしょうか。

もっとも、利益を上げること自体が
コンセプト、哲学であるというのなら
良いのかもしれませんが、
それに対して
人は純粋に心を開くことはできるのでしょうか。

人間の作る作品にそのことが言えるのだから、
人間の作る社会についてもまた
同じことが言えるはずです。

哲学とは
人間という精神の根幹であり、
決して誰それに引き渡したり、
明け渡してはならないものなのです。

だから僕は、
誰にどう思われようとも
そのことの大切さだけは
語り貫くつもりでいるのです。