ハロウィンとゾンビ・アポカリプス

数年前、
「ゾンビ・アポカリプス」という言葉を
聞いたことがありまして、
ふと最近、その言葉を思い出して
何となく(書くネタがなかったので笑)
ネットで調べてみたのです。

まあ結論から言ってしまうと
「ゾンビ・アポカリプス」というものは、
世界の終末にゾンビが街じゅうを闊歩して攻撃して、
攻撃された人もまたゾンビになるという、
(多分)アメリカのベタな
『フィクション』の筋書きなのだそうです。

さて、これもまた数年前から目につくことなのですが、
「ハロウィン」

これは、アメリカの風習なのですが、
日本では完全に商業的なイベントになってしまいます。

こちらもお化けに仮装するという意味では
ゾンビに仮装するのもありなわけで、
先の「ゾンビ・アポカリプス」についても
元はホラー映画などの
ベタな題材の筋書きだったものではあるにせよ、
考えようによっては
「ゾンビ・アポカリプス」というものも
あながち「作り話」ではないのだろうなという
気もしたりします。

そして、
少なくとも日本での話ではあるのですが、
気づいたことがあります。

日本で(日本特有の商業的な)「ハロウィン」が
広まって以来、
お化けが本当に増えたなという事に。

こと、ハロウィンのように
「お化けになってもいい理由づけ」が
正当性を帯び始めると、
みんなモンスターになる。
みんな獣になる。

これというのは、
普通に考えれば「ただの遊び」なのは分かります。

けれど、
『自己表現』という観点で見れば
やっぱり、自分の中の
「魔物」の発露なのだろうと思えます。

おそらく、
仮装したい魔物というものは
その人の深層心理によって違うと思うし、
その深層心理の違いによって
その人のメンタリティも燻り出され、
分類されるという。

まして、
社会的な体裁や倫理、道徳感という
呪縛が昔に比べて緩くなった
今の時代は、
人の中にある「魔性」も
表に出て来やすいのなろうなと感じます。

「神」という存在が「無二の善」とは言いませんが、
それを差し引いたとしても、
「善性としての神」を軽んじ、
背徳の象徴とも言える「魔物」を
賛美して、それに扮したがる人間が大半を占める
この世の中は「地獄」と変わらないように思えます。

みんな自分の中にある「魔性」を
隠せないのでしょう。

街を歩くと魔物だらけ。
まるでドラクエみたいに、魔物だらけ。

よくよく街じゅうを観察してみるといいかもしれません。
特に都会はいかに魔界かが分かると思います。
魔物や死者が街を歩きまわる
10月31日、ハロウィンの日になると
日頃より一層、魔界は見えやすくなるのではないでしょうか。

これは「遊び」のようで実のところ
決して「遊び」ではないのだと思います。
内在している世界が顕在化しているのです。