不運の原理

D.A/R
不運。
それは実のところ、
まるで青天の霹靂のような
突然で予測不可能なものであるような、
そうした性質のものではないのかもしれません。
つまり不運とは
何らかの原因に起因したものであり、
その原因とは何たるやを
きちんと把握しているのなら、
それはつまり
予測可能な自体であり、
回避することも可能なはずなのです。
あらゆる事象には、
その事象を事象足らしめる
原因があります。
とすれば逆に
幸運な出来事でさえ、
そこには何らかの原因となる
「種」があり
それが花開き実を結んだ結果である、
そう言えるはずです。
つまり、
幸運でさえ予想が可能であると
言えるのです。
幸運が予想可能であるということは、
その幸運を手にするか否かは
本人の意志、思惑次第
ということになってきます。
そしてまたそれは、
不運も同様であるのです。
その不運を被るか否かは
本人の意思、思惑次第で
あって然るべきなはずなのです。
要するに、
人生とは毎瞬毎瞬
過去に撒いた種の結実という事象を
その都度、
自分の意志で広い集めていく
そういう性質のものなのです。
故に人は、
拾い集めるものの「質」に関して
非常に重要視する必要が
あるのではないでしょうか。