絵文字はヒエログリフになる

先日、
絵文字の普及率、的な内容の
ニュースを見ました。

絵文字で感情を表現する(伝える)場合、
笑っている顔だとか、泣いている顔だとかを
打つことになるわけですが、
これはある意味、
「言葉の次元が上がる」ことに
等しいのではないかと思えるのです。
まあ、あくまで上手に使える人の
場合に限ってでしょうが・・・。

例えば、
文章の中でより確実に
ダブルミーニングを誤解のないように
使えるというのは大きいでしょう。

「腹たつ!」の後に「(笑)」を付け加えて
「腹たつ!(笑)」
となるだけで、その腹の立つ状況が窺い知れるように、
文字情報だけでは真意が伝わらないような、
以前であれば「行間を読む」だとか
言われていたようなテクニックが、
そういう特別に文章力を持たない、一般的な人でも
使えるようになったことで、
人の特技としてのみあった
「多元的文章の読み書き」が
多くの人に解放されたと考えられると思えます。

もっと突っ込んで言うなら、
英語だとか、何語だとかの
文章がわからなくても、
絵文字が「泣いて」いれば
何か困ったことがあることは
人間だったらわかるわけで、
それは言語自体の次元を引き上げる
ツールにもなり得るのです。

それはまさに、平面の世界が
立体になったかのような変革なのかもしれません。

そう言う意味で、絵文字(顔文字も然り)と言うのは
人類の「言葉というツール」全体が
一つバージョンアップしたとも言えると思えるのです。

ただ、良いことばかりではありません。

この絵文字の普及は、
文章を打つ煩雑さの回避目的によるものだけではなく、
たかだか、絵文字のバリエーションの数程度の
感情表現で事足りてしまうほどに、
人の感情が乏しいものでもあることも
言えるのではないかと思えます。

そのうえ、
語彙も貧相になっていけば、
10年もすれば
絵文字のみで会話をする人たちが
現れる可能性だってあります。

これは強ち、荒唐無稽な話ではありません。
言葉というものは、長い年月をかけて
どんどん簡素化されていくものなのだから。

未来の人類の文字は
ヒエログリフや象形文字になっていくかもしれません。

これは進化なのか、退化なのか。

今現在のように
文章だけでは見えてこない感情情報を
添付できるようになって、
やがて表層情報は省かれて
絵文字という感情情報のみが
やり取りされるようになった時、
その絵文字から感情やエネルギーを読み取れる人と、
そうでない人とに分かれることでしょう。

読み取ることのできる人はさらに、
現代人には皆目理解のできない、
別の言語体系を獲得していくでしょうが、
読み取れない人は
また再び、現代のような
表音主体で次元の低い言語表現に
戻っていくのだろうと思えます。

表現力と理解力という点において、
空の雲のような人と、
地面の石ころのような人との
違いの差が、この先どんどん
大きくなっていくような気がします。

そう考えればもしかすると、
遺跡に残された
何万年も前のものとされる
ヒエログリフや象形文字の類のものは、
現代人には想像もつかない
何かしらの感情などの
形而上的なエネルギー情報を
含んでいるのかもしれません。