理想郷に最も近かったのが日本だったのに

日本人の宗教観というものは、
実のところ、世界的に見ても
非常に優れているというか、
頭一つフェーズを
抜きん出ているのだろうなという気がします。

というのもまあ大体、
日本で生まれ育ち、暮らしている人であれば
言わずもがなでわかることだとは思うのですが、
基本的に日本人の多くは
無信仰です。

そして、最近は人が悪くなってきたとはいえ、
それでもまだ、
信仰の教義や民族の戒律(つまり法律)より、
「良心」が先立って秩序がよく保たれています。

何かしらの信仰や教義に帰依せずとも、
自然に公序良俗を保ち、
美徳を実践できるところに、
海外の人からすれば驚きを感じるのかもしれませんが、
当の日本人からすれば、
それは従わなければならない戒律があるわけではなく、
この風土と文化の中で培われてきた
ごく自然な考えや振る舞いであって、
それほど厳しく自分を律しなくても
普通に実践できることでもあると思われます。

この、無信仰でありながらも
生まれながらに良俗を備えていることこそが、
結果的に日本人の精神性の高さとなって
現れているように思えたりします。

つまりこれは、
良心に基づいた思考、振る舞いを
実践できるのであれば、
信仰も戒律(律法)も不要であるという
いわば人としての理想の在り場を
暗に示しているものであるとも言えるのでしょう。

それでも現実というのは、
なんだかんだで
昔から日本にも悪人はいました。
戦後の高度経済成長期からバブルの絶頂期まで、
日本人は白い目で見られていたりもしました。

ゆえに、絶対的に
善人の住む国とは言えないのも事実です。

けれど宗教観よりも上位のステージに
内的な判断基準としての美徳が存在し、
自然物と等価か、その直下のものとして
概念されるというのは、
少なくとも太古より西洋文明の影響下にあった
文化の民が夢想してきた
理想郷のイメージに近い世界観の中に
日本はあるのではないかと思えたりもします。

古代の西洋人からすれば、
確かに東方には賢人が住んでいたのかもしれません。

ただしかし、
今の時代、日本が誇ることのできる
「理想郷の精神」も
日本人の概念から急速に
薄れてきているのかもしれません。

そしてこの精神を蝕んでいったのは
おそらく「一神教的価値観」なのだろうなとも思えます。