影と生きる

よほどの暗闇に同化してしまわない限り、
つまり、それそのものが影でない限り、
この世界にあるすべてのものは
影を切り離すことはできません。

まして、周りが明るければ
それほどに影もくっきりと浮き出てきます。

その真理に照らせば
人もまた、影と共に生きているのでしょう。
人は影を切り離すことはできないのです。
仮に切り離せた人がいるとするなら、
その人はもう、人ではない。

ものの実像というものは、
その実体と、
そこから映し出される影とで
一組セットなのです。

何も物事の二極性だとか、陰陽だとか、
そういう概念云々を持ち込まずとも、
『それと認識するところに影はできる』のです。

ゆえに、影のない世界は
実はいびつな世界だのでしょう。

影を忌むべきものと考えるのは、
きっと、見えた影が
忌むべきものだったからなのかもしれません。

けれど忘れてはいけません。
そこに浮かぶ影は、
照らされたものの似姿なのですから。

照らされた実体、主体が
美しい形ならば、
影もまた美しい形になるのです。

善くあれば、影もまた善きものなのです。

影を悪しきものとして
切り離そうとしても無理だし、
そう願うことが苦悩さえ生むでしょう。

そうして実体の美しさは陰って
「美しくない影」を映してしまうのでしょう。

「その影ごと」成長していくことが
人の使命だと思うのです。