オルタナ人類

この先、人間の文化に関して、
真新しいものというのは
もう勃興しないと思われます。

というか、もう既に人類は20年ほどの年月、
新しい文化的なムーブメントを
生んではいないように思います。

20年という歳月というのは、
新しいものを生まない時代のはじめの頃に生まれた子供が
大人になるだけの歳月です。

既存のものの改変、更新、編集だけで
文化が成り立ってしまう世界では、
文化というものに対して
それは新しく産出していくものではなく、
既存のもので事足りるものという
観念を提示してしまいました。

そういう時代に生まれ育った人たちの
新しいものに対しての感受性が鈍くなっていくのは、
既存のもので事足りる、
つまり、すべてはここにもうあるという
世界を生きているからなのでしょう。

何も産めなくなった人類が
無能になったというより、
おそらく人類の頭脳、思考が
生み出し得るもののすべては、
もう既に物理的に出現しているのだと思います。

今は文化、人文という領域で起きていることに
とどまっていますが、
こうした流れはやがて、
自然科学、生命科学といった分野にまで及んでいくでしょう。

文化というものに関して
あらゆるものは出尽くして、
人は過去のものにしか目が行かなくなった時、
人間の文化は時代を逆行し始めたように、
人類のあらゆる足跡を
振り返る時代がそのうちやってくるでしょう。

人間は、人間の考えうるあらゆるものを
実現し尽くす時代が
すぐ近くにまでやってきていると感じます。

何もかもが、すでに存在する世界では
人間は未来に期待をしなくなるでしょう。
未来に対する無期待は、
人間から「判断すること」を無意味なものにして
自分に対してですら無味乾燥になっていきます。

やがてこの無味乾燥が
今現在というこの一瞬にまで侵食して、
過去を懐かしがることだけが
人類の生きがいとなるのです。
こうして人類の目が過去に向き始めた時、
人間の世界は縮退していくのだと思います。

世界中の人たちが
あらゆる欲求を容易に満たす術を獲得し、
懐かしさを追い求めるだけで、
新しいものを生まなくなった時が来たら、
おそらく世界が滅ぶ時が近いと思うのです。

「安易な楽」、「安易な未来」は
人間を滅ぼします。

未来も、夢も、希望も、
それは常に人にとっての
尊い壁なのです。
乗り越えて人をして人を超えてみせよという
崇高なる障壁なのです。

それでもなお、
人類が「苦」を体験する必然性を見失い続けたのなら、
人類の精神性は逆行して退化していくはずです。

人間、人間の精神の進化というものは、
進化によってあらゆるものが「楽」になる
という意味ではないのです。
人間の「苦楽」両者を持ち合わせて
進化していくことなのです。

「苦」から脱却する人は
「楽」に没落する人でもあるのでしょう。

その行き先には退行しかないと言い切れます。