「鮎」の名前の変遷

プロフィールにも書いてありますが、
僕は2008年の4月まで
「Lalah Luminoux(ララ・ルミナス)」
という名前で、
ネット上で楽曲を作っては公開する、
そういう活動をしておりました。
以前の記事、「模索の代償」の中でも
触れてますが、
ひきこもっていた僕を
外の世界へと連れ出してくれた
「暗闇の中だからこそ 光は見つけられるから
そう誰よりも簡単に」
という突然、
降って湧いて出てきたかのような
言葉とともに、
ひきこもりだった自分との
決別の意味も込めて、
Lalah(ララ~)と唄う人になる
Luminoux(s)光、という意味を持ち、
そして、
最後のアルファベットが
「X」なのは光の輝く様を表したもの、
それをララ・ルミナスと呼び、
名乗る。
そう決めたのです。
ここで話を10数年前に戻します。
僕がインディでバンドをやっていた頃、
つまりバンドの中のギタリストだった頃は
「Ikuya」という名前で通していました。
しかしバンドは解散し、
その後は自分一人で
音楽活動をしようとした時、
ギタリストとしての「Ikuya」という
名前を捨てたかったのです。
もう、ただのバンドのギタリストに
戻る事は無いだろうと思ったし、
戻る気も起こらないと確信していましたから。
そこで一人で活動するのに
相応しい芸名を考えました。
それが「鮎沢郁哉」でした。
もともとの名前は「いくや」なので
それは残しましたが、
名字は完全な芸名です。
鮎沢郁哉(現在は鮎沢郁弥)としては、
実質的に活動らしい活動はしていませんでした。
この名前を名乗っていた頃というのは、
インターネットが急速に普及しはじめた頃で、
パソコンの性能も飛躍的に
進歩していった時代でした。
音楽以外に、ウェブでホームページを作ったり、
意外に思うかもしれませんが、
映像関係の作品も作っていました。
音楽が僕の本筋だとすれば、
脇道に大きく逸れた時代でもあったのです。
ただこの大きく逸れた脇道は、
確実に僕の今の
フィロソフィや感性を形成する為に
必要な事だったというのは間違いありません。
しかし、大きく道を逸らせたのは
表現活動だけではありませんでした。
僕のプライベートでの生活も、
大きく脇道に逸れていく事になります。
職を転々としましたし、
大きな失恋も経験しました。
非常に深刻な
人間関係のトラブルに巻き込まれて、
それに翻弄され・・・、と
立て続けに、僕の人生が
悪い方悪い方へと逸れていったのです。
まるで、海の沖に流され
溺れる人のように・・・。
そうして鮎沢郁哉は
ひきこもりました。
それまでしてきた
全ての創作活動を一切止めて、
ひきこもりました。
その後はすでに「模索の代償」で
お話しした通り、
降って湧いてきた言葉に突き動かされ、
ララ・ルミナスという名で
音楽を主体とした
表現活動を再開する事となるわけです。
しかし、これもうまくは行かず
結局、精神を病んでしまう事になり、
一度、僕と音楽との関わり合いを
リセットせざるを得なくなったのです。
そして、リセットした自分。
つまりこの場合、
ひきこもる直前に時間を戻し、
もう一度、「鮎沢郁弥(郁哉じゃない)」として
プロになるとかそういう事ではなく、
リアルでのライブ活動も含めた
純粋に表現者として
本気の音楽活動をしようと決意したのです。
ギタリストのIkuyaから
鮎沢郁哉へ、
そしてララ・ルミナスを経て、
再び鮎沢郁弥へ・・・。
これが最終形なのかもしれませんし、
まだ最終形へ向かう途中かもしれません。
ただ一つ共通して言える事は、
どの名前の時代でも、
常に物事に対し、
真剣に取り組んできたという事。
ひきこもっていた時だって、
本当に何もせず、
何も考えていなかったわけじゃありません。
地獄のような葛藤を体験したし、
導かれない悲しさも体験しました。
それらの苦しみは
僕にとって体験しておかなければならない
必修科目だったのだと思っています。
鮎沢郁弥が
これからすべき事を成し、
発進する為に、
ひきこもりを経験し、
ララ・ルミナスという
実地研修期間を経て、
今ようやく
大きく脇道に逸れた人生が、
「鮎沢郁弥」として
再び本筋に還ろうとしているのが
自分でもはっきりと分かります。
長々とお話をしてしまいましたが、
結局のところ、人生って
その時、その時では
その本当に意味する事は理解できなくても、
後になって考えてみれば、
全てが「今の自分」である為に
必要な経験となるものなのですよね。
「今の自分」になる為に
過去に様々な経験をし、
そして「未来の自分」へ向かう為の
今がある。
僕の名前の変遷は、
僕の人生遍歴であると言っても
いいのだと思います。
こうやって僕は
成長してきましたよ、という
履歴書には書かれる事の無い
僕の真の履歴書。
それは僕の名前の変遷を見れば
分かる事なのです。