縁の距離感

VI. The Lovers・・・
以前、僕の書いたとある記事に対して、
ある方から頂いたコメントの中に、
『愛すれば愛される』
と書かれていました。
それを読んだ僕は、
全くその通りだと思いました。
人は皆、
愛されたいと躍起になって、
あれはどうだ、
これはどうだと、
いろいろな事を試みます。
だけど、
そこに居るのはただ、
「愛されたい自分」が居るだけ・・・。
愛されたいと躍起になる自分が居るだけ・・・。
以前の僕の記事でも書きましたが、
僕はある事を通して、
こちらが誠実に手を差し出せば、
相手も誠実に手を差し伸べてくれる。
という事を学びました。
こちらが手を差し出したとして、
それでそっぽを向かれるようなら、
それはただ縁が無かっただけ。
そっぽを向けた人が
悪かったわけじゃなくて、
ただ、その人との縁が無かった、
それだけの事なんだと思うんですよね。
常に自分自身が
ぶれることのない
「誠実さ」を外側に向けていれば、
あとは縁の思し召しにお任せしましょうよ。
自然とその相手との間に、
最適な距離感が生まれてくるのだから。
その距離は非常に近いかもしれません。
はるか遠いかもしれません。
人と自分との間に
どれだけの距離があろうとも、
実はそんな距離感というものは
関係なくて、
相手に何を求めるでもなく、
何を期待するでもなく、
ただ自分だけは
常に誠実で、正直であれば
ただ、それだけで
いいのではないでしょうか。
そうした姿勢や、ものの見方は
相手を自由にさせてあげるという事であり、
それはまた同時に
自分をも自由にする事に繋がると思うのです。
相手に対して、
自分の望むリアクションを
求めたり期待することは、
互いに窮屈さを与えてしまいます。
自分が自由でいたいのなら、
人を自由にさせてあげましょう。
こちらが
誠実に手を差し出して、
相手が誠実に手を差し伸べてくれても
差し伸べてくれなくても結構。
それでいいのです。
互いに自由で、
常に正直で誠実であれば
それでいいのです。
さらには、
こちらが愛した時、
相手も愛してくれれば、それはそれで結構。
だけど、
相手が愛してくれなかったら・・・?
それはもう仕方が無い事です。
そういう縁を持って出会ってしまったのだから。
本当にその人を愛しているなら、
相手が自分を愛さない事を
赦して、自由にさせてあげましょう。
辛い思いを体験するかもしれませんが、
そういう距離の縁であったことを
勇気を持って、
しっかりと認識しましょう。
人から愛されたいのなら、
まずは相手を自由にさせてあげるのです。
それは、
自分も自由になる事であり、
しいては
自分に対して優しくする事、
つまり自分を愛する事へと帰着するのです。
真の愛とは
「自由である事」だと僕は考えます。
しかしそれは、
ただの野放し、放任とは違います。
相手の意志を尊重するが故の自由です。
互いが自由な立場で
対等な関係を築けた時、
絆がそこに結ばれるでしょう。
そのうえで、
相手との距離は
自然の流れに任せて、
受け入れてしまえば、
自分自身も気負う事はなく
相手も気負わせる事もなく、
ただただ純粋な
自分とその相手との
最適で最良な
結びつきに
ごく自然に至ると思うのです。
みなさんは
人との距離感に
気負ってしまっているような
事はありませんか?
恋人に
何かを求めたり期待していますか?
互いにとって
居心地の良い関係の距離感を
保てていますか?