欲するという苦悩

Five of Swords・・・
何かを欲すると言う事は、
実はその根本に苦痛を
はらんでいるものなのです。
それは「満たされたい」という感情。
たしかに満たされたいと思う事は、
人の文化の進歩に寄与してきた
事実はあります。
しかし、度を超えた「満たされたさ」、
つまり
肥大化した欲求はかえって
逆に人を浅ましく、下劣にさせてしまいます。
もっと欲しい、もっと欲しい・・・。
もっとしたい、もっとしたい・・・。
もっと、もっと、もっと・・・。
常に自分がいかに満たされるかのみに
心を奪われて、
他を思い遣れるだけの
余裕を失ってしまっているのです。
そして時には、
そうした不満を感じているのは
自分一人だけなのだという
錯覚を起こさせます。
その錯覚は実体のない劣等感に姿を変え、
心を更なる枯渇へと追い込んでいきます。
自分だけが、自分だけが・・・。
そこには理知的な人としての
理性はありません。
だらしないまでに
肥大化していく渇望は、
やがて他のものを傷つける事さえいとわず、
ただ自らが満たされる事
その一点に於いてのみが関心ごととなるのです。
本当はそれでちょうど良い、という
発想が出来なくなってしまうのです。
今のままでちょうど良い、
その発想一つで心は満たされ、
それどころか心に余裕さえ生まれるものです。
余裕を持った心は、
献身や思いやりの心を育てます。
その心は優しさへと成長し、
真の愛へと昇華していくものです。
人を思い遣る心が愛へと昇華した時、
人はその心と、
それをとりまく世界を
天国へと変えるだけの力を持っているのです。