「 」になることのパラドックス

僕はこのブログで、
何も包み隠す事無く、
正直であろうと心がけています。
それが僕のブログの
読者さんへの
誠意の顕われだからです。
だから告白します。
歌のレコーディングで
そうとう精神にダメージを受けたのか、
今、鬱の波のまっただ中で
溺れるようにもがいて・・・、
いや、
もがく気力さえも無く、
ただただ空虚で
現実という虚構の空間に
フワフワと浮かぶだけで、
何もしたくありません・・・。
正直、新曲の世話に対しても
非常におっくうになっているし
明後日のライブも
やりたくありません。
僕の鬱の症状が
そう思わせるのです。
もちろん今後、
新曲が完成したら公開しますし、
明後日のライブだって
やらないわけにはいきません。
表面上はちゃんと
オンタイムで
事が運んでいます。
だけど、
僕の鬱で病んだ心は
全てを投げ出して、
どこかへ逃げてしまいたくて
仕方がありません。
とはいえ、
死にたいというのとは違うので、
勘違いしないでください。
ただただ、
僕のやるべき事を
全て投げ出して
どこかへ消えてしまいたいのです。
これは僕の本心ではないと言う
確信があります。
これは僕の心の病が
そう思わせているという事を知っています。
だから現実から逃げる事無く、
期日までにやらなければいけない事や
明後日にやらなければならない事、
当然ながら
やらせていただきます。
でも本音を言うと、
今もの凄く辛いです・・・。
ブログでそんな思いを
吐き出せば
少しはすっきりするかと思いましたが、
今、これを書いていても
何の心の抑揚も無く、
喩えるなら、
夜の空に黒いエナメルを
べったりと貼り付けたような、
息が詰まってしまいそうな
心境です。
でも、ここを乗り越えないと
いけないという、
半ば罪悪感にも似た
気持ちで心がいっぱいに
満たされてしまっています。
本当は、
全てを投げ出して
逃げてしまいたいです。
死ぬ気はさらさらありませんが、
人間である事をやめたいです。
無機的な街路灯のように、
無愛想にかつ、事務的に
ただ自分の足元だけを照らすような、
そんな自己完結で済ませてしまえるような
存在になりたいです。
いや、存在になりたいんじゃない・・・。
存在したくないのです。
僕という存在を
黒のマジックペンで塗りつぶして
はじめから、それはなかったかのように
僕の存在を
無くしてしまいたいのです。
だから今は、
肯定も、否定でさえも
及ばない絶対的な
「無」と同化して、
僕という存在は
はじめから存在していなかったのだと、
僕の周囲を取り巻く
全ての事象は
はじめから存在していなかったのだと、
自分が存在する事に
とことん意識を向けたくないのです。
僕は何をもって存在すると言えるのか?
それは皆さんが僕を知っているから
存在できるのであって、
この世の誰もが僕を知らなければ、
僕は存在する事は出来ません。
そう。
僕と関わった全ての人たちの
記憶から「僕」という存在を
抹消して欲しいのです。
そうする事で僕は、
「虚無」に同化できる、
いや、「虚無」という
定義付けすらも受け付けない、
「 」と同質のものになれる・・・。
そんな感じで、
僕の心は未だ酷く病んだままである事を
ここに記録して、
僕は眠りに逃げようと思います。
明日が来るのが憂鬱だけど、
明日の終わりには、
僕が存在する事を肯定、
もしくは否定できる
何らかに成っていれば、
きっと僕の精神は
ちょっとだけ
回復したのだと思います。
だけど今は駄目。
今の僕は絶対的な「無」さえも
否認されるべき
「 」でありたい・・・。
しかしながら
どう思索をめぐらせても
僕という存在は、
在ってしまうのです。
「無」でさえ「無」という存在であるがために、
僕は「」である事が出来ない。
そんな足かせをくくり付けて
眠りに落ちようと思います・・・。
おやすみなさい。