光陰すっごく矢の如し

歳のせいでしょうか?
最近、時間の流れが
早くなっているような気がするんです。
そう。何て言うかな・・・。
例えば、
道路の標識。
それが今、この瞬間だとします。
僕は車に乗って
猛スピードで、
その「今この一瞬」という
道路標識に近づいていき、
「今この一瞬」に達します。
「今この一瞬」を通り過ぎて
「あの時の瞬間」という道路標識は
僕の乗る車の猛スピードと
同じ早さで通り過ぎて、
遠のいていくように思えるのです。
具体的に時間の感じ方が
どんな感じかというと、
今日7月15日。
今年の元日から
あっという間に今日という日に、
つまり一年の半分が過ぎてしまいました。
今日、7月15日という
今、この瞬間から
今年の元日を振り返ると
半年以上前、
いやそれ以上に前、
それこそ1~2年前のように感じるんです。
去年の今頃は、
以前にもお話しした通り
まさに精神が崩壊していた頃でした。
あれからほぼ1年経っているのですが、
あの狂気の日々は
もうずっと何年も昔のように感じるのです。
この調子でいくと、
今年の大晦日なんて
本当にあっという間に
やって来るように思えます。
のんびりやってたら、
秋に向けての音楽活動再開なんて
出来ないんじゃないか、
なんて考えてしまいます。
いや、それに向けて
目下、ちゃんとがんばってはいますけどね。
でも、時が経つのが
異様に早く感じるんです。
なんでも人間の
時間の流れの感じ方は、
若いほどゆっくり、
歳をとるほど早くなっていくのだそうです。
このまま時が経って
僕がおじいさんになった時、
時の流れを
どれだけの早さに感じているんだろう、
なんて思うんです。
このまま、どんどん
加速を続け、
時の流れが早くなり過ると、
一瞬先は
限りなく今この瞬間に近く、
一瞬後は
無限と言えるほどに宇宙規模のはるか大昔に・・・。
そうなってくると、
過去も未来も、同時に存在する事になって、
もう時を刻むという行為そのものが
無駄な事に思えてくるんじゃないかと、
そんな風に思っちゃったりしまいます。
そもそも時間の概念というのは
人間にとって
もっとも偉大な発明と
言う人もいるくらいなもので、
時間というものは
物事を順序立てて
把握するために
人が作った「ものさし」なんですよね。
これが役に立たなくなって
使うのを止めたとき、
そこには「今」しか存在しない事となります。
過去にこだわったり、
未来に思い煩わせたり、
そうしたことから解放され
ただただ、
今の自分とは「こうである」という
状態が永遠に続くだけとなるのでしょうね。
なんだかんだ言っても
僕たちが居る場所は、
いつ、いかなるときも
結局は「今、この瞬間」以外に
居る場所も時間もないのですよね。
だからもう、
今、この瞬間の自分をいたわり、癒し、
愛して抱きしめてやれれば
それだけで幸せになれるし、
その幸せを過去や未来に放り出して、
今を不幸せにする必要もないのです。
なにか雲を掴むような話にも
聞こえますが、
これってごく当たり前で、
シンプルで、
あまりに当然過ぎて
ピンと来ない、
そんなものの考え方なのかもしれませんね。
今、この瞬間にあなたは、
あなたを解放し、許し、癒せていますか?
というか、僕は精神を病んでます(爆)