保守という名の無理解

D.10/R
保守という名の
無理解があります。
保守は
現状を保つための力として
有用に働く事もありますが、
それがかえって
物事に対する
無理解に繋がる事もあるのです。
つまり保守は、
自らとは異種なるものを
分け隔て、
排除しようとします。
異種なるものに対する
理解力に欠けるのです。
それが保守の欠点。
他者の異質なるものに対して
寛容でないという事は
自己の発想すらも停滞させます。
動けないのです。
しかしながら、
動かないが故に
保守でもあるのです。
それを
安定と捉えるか
四面楚歌と捉えるかは
各々の直面している状況によって
違うでしょう。
保守であるとはそういう事。
動きのない事なのです。
ただひとつ言える事は、
真の保守とは
発想の転換が出来るだけの
意志の余裕を持ち合わせ、
柔軟にその状況を変転させる
度量をもっているという事です。
保守という名のもとに
まったく
動こうとしないのならそれはただの
固執である事を
心に留めておかなければなりません。