無益と言う有益

D.9/R
人はその人生に於いて
無駄なもの、つまりは
徒労に終わるもの、
浪費し疲弊してしまう物事。
はたして
真の意味で
そうしたものというものは
存在するのでしょうか?
つまりは、
『過ちは損益か』否か、
それをどう捉えるかによって
変わってくるのかもしれません。
敢えて極論から言ってしまうのなら、
人生には無駄なもの、有害なもの
そうしたものは
一切存在しないのです。
全ての物事には
自己の成長を促す
大切なエッセンスが込められています。
そう。
たとえそれが一見して
自分に害を及ぼそうとするように
見えたとしても。
あなたが「害」を得て
何を得るのか考えてみてください。
そこから得る事の出来るのは、
「害」を「害」たらしめぬ
知恵や英知であったりするものだし、
それを持ち合わせている者は
持っていない者より
数段も賢い賢者と言っても
過言ではないのです。
もう一度言います。
「過ち」、「浪費」、「疲弊」
こうしたものは
人を苦痛や深いに陥れようとしまいますが、
実のところ
それらは
そうならないための英知を
寡黙に語っているものなのです。
それゆえに、
人生に於ける苦痛や浪費を
経験し、そこから学べたものは
学べなかったものより
賢者たる資格をもった人である、
そう言う事が出来るものなのです。