ドグマの徒労

D.K/R
「独善」というものほど
無駄な徒労はありません。
独善とは
誰も求めていないものを
ひとつひとつ
押し付けていく行為。
しかし誰もが
独善者になり得る可能性を
持ち合わせている事までは
認めたがりません。
自分だけはそんな意識を
持ってはいないと
自負しているからです。
しかしその自負こそが
独善の種なのです。
自身の常識が
この世の常識であると
勘違いしているからです。
この世には
10人いれば10通りの
100人いれば100通りの
1000人いれば1000通り、
もしかしたら
それ以上の
常識がある事にまで
気が回らないのです。
それこそが
人にとって最も愚かな
側面の一つでもあるのです。
心に留めておくべきなのです。
自分がされて嬉しい事を
人にしても
決して喜ばれる可能性が
絶対的ではないという事を。
10人いれば10通りの
100人いれば100通りの
1000人いれば1000通り、
もしかしたら
それ以上の善行が
この世には存在するのです。
自分一人の善行の力の無さを
自覚する事も必要なのです。
そうすれば、いかに
「独善」というものが
無駄な徒労なのか
身をもって理解出来る事でしょう。