心の投影として行使される力

D.K
権力というものは
時に人を統制するための方便として
非常に有用な力を
発揮するものですが、
それを行使するものの心一つで
それは調和をもたらす事もあり、
また混沌をもたらす場合もある、
そういう性質ものでしょう。
例えば統治者が
その世に悪政をしいたとするなら、
世は混沌を招き
被支配者にとって
地獄の苦しみを味わう事となるでしょう。
しかし、
その統治者が人格者で
和をもって世を統治したとするのなら、
被支配者は
その調和の世を謳歌する事でしょう。
権力というものは
強力な道具です。
使う者の心一つで
善き物にもなれ、
悪しき物にもなります。
また権力というものを
権利、または権限という意味合いに
置き換えると、
それは
被支配者という立場ではなくとも
個人的な意志として
当てはめる事も出来ます。
人は行動の自由を許されています。
つまり、
人は各々に権力の行使者でも
あるという事です。
とすれば
その各人に与えられた権限というものを
善き事に行使する事も、
悪しき事に行使する事も
各々に委ねられているわけです。
だからこそ気をつけなければなりません。
自身が権力の行使者であるという事は、
かならずどこかに
その権限に従わなければならない
被行使者が存在するという事を。
人はその生活の中で
権限の行使者である時、
その生活の中でともに暮らす
共存者にとって
調和をもたらすものでなければ
ならないのです。
また逆にいうなら、
自身もまた
調和のもとに
権限を与えられるべきでもあるのです。
「力」とは
行使するものの心の欲求を
顕す写し鏡の様なもので、
またその生活も
自身の欲求の写し絵でもあるのです。