心の浄化

D.Q
時として人は
その虚栄心を隠すため
敢えて
人から注目を浴びようとしたり、
物欲を満たそうとしたり、
そうすることで
萎縮した心を補完しようとするものです。
縮こまった自尊心を
安心させるために
自分を必要以上に
大きく見せるのです。
しかし、
そうした虚勢を張る人を
責める事は出来ません。
悲しいかな
誰にでも程度の度合いさえあれど
そうした心の闇、
弱い部分を持っているものなのです。
では、そのような人に対し
何が出来るのか。
安心させてあげる事です。
コンプレックスとなっている
心の中にある
怯えた影の部分を
安心させてあげる事です。
それは人に対してだけでなく、
自分自身にも言える事です。
自分の弱い部分、
萎縮した心の影に
光を当ててやるのです。
そして、
そのままであることが個性である事を
納得させてあげるのです。
そうするには
その心の認めたくない弱い部分と
対峙し、認め、
そして許してあげなければなりません。
しかしそれは簡単なようで
非常に難しい事でもあります。
誰だって、
自分の弱い部分を
そのまま弱いままで良いなどと
思えないからです。
そう思ってしまえば
いつかその弱い心の脇腹を
突かれるに決まっていると
信じ込んでしまっているからです。
でも実際は、
そのような事は客観的に見ると
些細な事で、とるに足らない事で、
自身のトラウマや心の傷が
そうさせているに過ぎない、
まさに「心の影」なのです。
「心の影」を抱えたままでは
いつまで経っても
いつ誰かが攻撃してくるかもしれない幻想に
怯え続けるものです。
ところが
その影を愛し、光を当ててしまえば
その許せない自身の恥部を
認められるようになる事でしょうし、
認めざるを得ないでしょう。
本当のところ、
そうした自身の心の弱い影の部分は
光を当てて欲しくて
いつも、いつか気付いてくれるようにと
待っているものなのです。
そしてそれを
心の「浄化」と言います。