恋愛論

C.5
恋に落ちるということ、
異性を愛するということは、
それすなわち
自分の中にある異性に
直面することと言ってもいいでしょう。
目に前に対峙する
愛する人の
何かしらの部分を愛しているのではなく、
実は
自分の中にある異性の持つ
何かしらの部分を愛しているのです。
もっと端的に
分かりやすく説明するのなら
人は誰かを愛する時、
その対象となる「誰か」を
愛しているのではなく
その「誰か」を愛している
自分に恋しているものなのです。
だから
自己否定、自己憐憫に
浸っているうちは
誰も愛せない。
いや、正確に言うのなら
自分を愛せていないのです。
恋に落ちる要因は様々です。
自分と同質のものを
相手に見いだしたときもあれば、
その逆の
自身とは異質なものを
相手に見いだしたときでさえ
恋に落ちるものです。
しかし、その要因は
さほど重要ではありません。
なぜなら、
自分と同質のものを見いだしたとしても、
異質なものを見いだしたとしても、
結局のところ
その恋の本質は
恋に落ちている自分自身を
肯定し、愛しているからです。
そこに顕在する「質」
というものは、
自分自身のもっとも
肯定し、愛している部分なのです。
恋は盲目とはよく言ったもので、
人は恋に落ちるとそのことを
すっかり忘れてしまいます。
しかしそれで良いのです。
そのようなメカニズムになっているからです。
盲目的に愛する事によって
人は今現在、
何を愛する事によって
何を学ぶのかを
深く熟考するからです。
異性を、いや
他者を愛することとは
自分の深い部分を知り得る
最たる手段なのだから、
盲目的に愛し、
そして時には傷つき
時には喜び、
その一喜一憂の瞬間というものを
大切にしていれば良いのです。