楽しんでやる音楽は「糞」だ:2

音楽は神様から授かった
「個の表現」を
捧げる場・・・。
そこに
おちゃらけた要素がある事は
許しがたい不徳である、
僕はそう思っています。
僕はこの記事を
反論がある事前提で書いています。
僕の言っている事が
上から目線にきこえるのなら、
それは、
上から目線にきこえる人が
僕よりも低いレベルで
音楽と向き合っているからだと思っています。
それは僕が傲慢だからじゃない。
僕の考えに苛立ちを覚えたその人の
音楽に対する向き合い方が
緩慢なだけだ、
はっきりそう言います。
それをして
僕が憎いなら、
僕のライブに来れば良い。
刃物をもって来れば良い。
そして僕の柔らかい
はらわたを刺せば良い。
望み通り
死んであげるよ。
ロッカーというものは
死んで伝説を残す。
言い換えれば、
ロッカーというものは
ショッキングな死に方をしなければ
ロッカーとは呼べないと思うのです。
僕は死して後なお、
語り草になるには充分な
良質のロックを
すでに沢山残してある。
たから
あとは死ぬだけだと思っています。
だから
望み通り殺されてあげよう。
神様に「個の表現」を
捧げながら死んでいけるなんて、
何と幸せな事か。
僕は楽しんで音楽をやる気は
さらさらありません。
音楽とは
「個の表現」を神様に
奉納する行為だと
そう考えているからです。
殺すのはちょっと、
というのなら
このブログを炎上させても良い。
良いプロモーションになって
丁度いいくらいだと思うくらいで・・・。
そしてどこかの馬鹿が
僕のライブに来て
僕を刺し殺してくれるのを待つでしょう。
そして僕は伝説になる。
前回の記事、
そして
今回の記事、
ぼくはコメントに対して
一切レスをしません。
炎上、上等。
最後にそう断りを入れて
分を結びたいと思います。