ひきこもり

Je pense à~
以前の記事で
僕はひきこもりだった事を
カムアウトしました。
真っ暗な部屋、
明かりを付ける事も無く、
ベッドの上で
もんもんと、そして
極限の域まで
葛藤と、自身の内観をし、
「暗闇の中だからこそ
光は見つけられるから
そう誰よりも簡単に」
この言葉が突然僕の
心に落ちてきて、
引き蘢るのを止めました。
10数年前にやってたバンドが
解散し、
それ以来、自分の居場所はどこにも無く、
やがて、この業界の人間とも疎遠になり、
また、年齢的にも
プラーベートの友達とは
まったく話が合わなくなってしまいました。
そして、とどめに
うちの母から、
「暴走族でも二十歳を過ぎれば真面目になるのに」
そう言われて、
僕の心は薄い硝子がきしきしと
音を立てて割れるように、
砕け散りました。
それが僕の引き蘢った一番の要因でしたし、
ある意味、僕の心にナイフを突き刺した
その言葉に対する、
アンチテーゼでもありました。
ひきこもって、
どんどん社会性を失っていく自分を見せて
僕がどれだけその言葉に傷ついたかを、
無言の反抗と言う形で
おしだまり、暗い部屋の中に籠ったのです。
だけど今思えば、
ただ部屋からほとんど出ず、
部屋の明かりも付けない
そんな生活を2年ちょと
続けるうちに、
僕は自分の存在理由からはじまり、
人生の何たるやを
日がな模索する、
そんな日々になっていったのです。
長い人生の中で、
あれほどに独り哲学的な
模索をしたのは
引き蘢ったからこそでした。
そして、
その引き蘢っていた時期に
悟った事が、
今の僕の歌の
基本的なテーマの根幹に
なっていったのです。
もし、
今ひきこもって
誰とも話さず、
夜に明かりを付ける事も無い、
そんな日々を過ごしているのなら
それは、あなたの人生において
とても貴重な時期となる事だと
断言します。
ただ、何も考える事無く
不満な事に悶々としながら
部屋に閉じこもっているのでなければ。
引き蘢っている皆さん。
その引き蘢った時期というのは、
それは
あなたが真の人生の意味、
真の生きる意味、
何が不幸で、何が幸せなのか
など、
自分なりの答えを見いだし、
精神的に一つ高いレベルの
精神性に進級する為の
テストだと思って欲しいです。
現に僕は、
その引き蘢っていた数年で
得られた哲学、思想は
今僕が唄わせて頂いている
歌の中に、頻繁に
だけど、決して押し付けるでも無く
込められています。
引き蘢らなかったら、
気付き、そして悟る事も無かったろう
僕の思想や哲学は、
その時期にしっかりと
身につける事が出来たのです。
人生を生きていくにあたって、
いかに人が健全な幸福を得られるかの
フィロソフィは、
僕の歌や、ブログに満ち満ちています。
そうしたように、
今、真っ暗の部屋に閉じこもって
誰とも口をきかない、
そんな日々を送っているとしたら、
どうか
心に留めておいてください。
その引き蘢った期間というのは、
人格を大きく成長させ、
やがて幸せとは何かを
知るに至る事でしょう。
ひきこもって、
その期間に
思う存分、
いろいろな事について
哲学をし、悟っていけるのは
その粘液のような心の闇の
中だからこそ確立できるものなのです。
やがて時が来れば、
自身が身につけた思想、哲学は
引き蘢るのを止めると
決めた瞬間から発動し、
誰よりも尊く、そして賢明な人に
なるのだという事を
僕の経験上、
まちがいなく知って欲しいのです。
引き蘢っている期間、
それは本来
人が人でありながら
思慮深く、明晰に
人生を歩いていく為には、
絶対必要な事なのです。
そう言う意味では、
ひきこもりを体験するという事は
とても幸せな事だと思うのです。
人間について、
人生について、
何が幸せで、何が不幸なのか、
そうしたことは
引き蘢らないと得る事が出来ない
そんな自分の人生の
必須の試練なのです。
だからどうか、
思いっきり模索にふけってください。
どうせ部屋にしかいないのだから、
自身の哲学を完成させるのに
十分な時間が与えられているのです。
その時間をどうか
無駄に使わないで欲しいのです。
かつて親を泣かせるほど
引き蘢った僕が
断言します。
とにかく模索してください!