『道 (La rue)』

Idee visuel
『道 (La rue)』
全ての道は
結局のところ、
たとえ今、苦しんでいたとしても、
最後には歓びへと帰着するものなのです。
それがこの世界の真理。
人の数だけの道のりがあります。
そしていつか、道で倒れ
うずくまったとしても、
最後にはその試練があったからこその
自分でいられる事に
感謝をせずにはいられなくなるのです。
それがこの世界の真理。
星の数だけの道のりがあります。
けれど
星の数ほどある道のりも
辿り着く場所は
たった一つ。
それは歓びと感謝の想いに満ちた
シャングリラ。
シャングリラというものが
あまりにも大き過ぎて、
あまりにも広過ぎて、
あまりに普遍的過ぎて
そして、もう時すでに今、
シャングリラに至っていることにも
気付けなかったりします。
いろいろな道を、
近道したり
遠回りしたりして、
泣いて、笑って、怒って、悲しんで
全ての感情を味わいつくした時、
初めて気付くのです。
その歩いてきた道のりこそが
シャングリラであり、
天国というその存在が
どこかにあるわけでもなく、
普遍的な摂理によって
均衡を保った
今、この瞬間の自身の心象こそが
何にもまがう事のない
天国であった事に
ようやく気付けるのです。
だから僕たちは
すでに楽園の住人であると言えるのです。
人の数だけ、星の数だけの
無数にあると言ってもいい
その道のりは、
この世を構成するエッセンスのひとつ。
いろいろなエッセンスが、
絶妙のバランスで釣り合って
この世は楽園となり得るのです。
どの道も、いやその道こそ
楽園と呼ばれる天国なのです。
誰もが行きたがるのに、
今、本当にそこに向かっているのか
不安になる事もあります。
だけどこれだけは、
覚えていて欲しいのです。
苦を伴う道も、
楽を体験できる道も、
全てがシャングリラの中で起こった
あるひとつの発現に過ぎないのです。
ある一つの感情の発現に他ならないのです。
散々迷ったあげく、
ようやく気付くのです。
自分自身を愛し、
肯定できるその時こそ
シャングリラの風景が
広がっていき
広く見渡せるものなのです。
そして気付くのです。
天国なんてものは、
あまりにも普遍的過ぎて
気付けなかったりするものなのです。
本当は、
答えはいたってシンプルなのです。
しかし同時に
難しいものでもあるのです。
つまりあなたは、
僕と同じく
シャングリラの住人と言えることは、
簡単であり、かつ
難解なものだったりするものです。
好きなだけ迷い、転び、
怪我をしながらも、
最終的には
あまりに普遍的な天国に
いつのまにか
そこに達していた事を知るのです。
天国、楽園、シャングリラ、
そういったものは、
あまりに大き過ぎるから
決して辿り着けないことはないのです。
ただ、それに気付くには
この世で発現する様々な感情を
体験し尽くしなければ、
ここそこに天国や楽園が
今、ここに在る事に気付けないのが、
この世界に仕組まれた
心の成長を促す、
精妙な摂理でもあるのです。
だから、
今、道に迷っているように思えても、
前に進めないと思えても、
結局、最後には
楽園が何処にあるのかを
知るプロセスがあなたを導いてくれます。
いや、導かれなくても
自分がどんな道を通ったとても、
この世に住む人全てが
最終的には
そのままの自分でいるだけで
天国にいる事に気付くものなのです。
天国へ向かう無数の道のりは
結局、全てがその楽園へと
繋がっているものなのです。
そう、全ての道は
どれも余す事なく
天国に通じているのです。
イデ・ヴィジュエル
『La rue (道)』