クリスマスに飽きた

Je pense à~
2~3年前までは
クリスマスの雰囲気が大好きでした。
クリスマスソングのCDを買ったり、
もちろん12月になれば
クリスマスソングを一日中、
流しまくって
クリスマスの雰囲気を
楽しんでいました。
ところが、
僕が精神を病んで
いろいろな物事に対する
興味を失ったせいもあるのでしょうか、
去年あたりから
ふと思うようになったのです。
「いい加減、クリスマスに飽きた」
と。
大人になっても、
街のイルミネーションや、
店で流れるクリスマスソング、
そうした雰囲気に浸って
それはたいそう心地よかったものです。
しかし、
「もう、クリスマスはいいや」
って思うようになってしまいました。
考えてみれば、
クリスマスにしても
お正月やお盆にしても、
結局は自分の本心の
モチベーション次第で
いかようにもなるものなんですよね。
毎日クリスマスだと思っていれば、
真夏でもクリスマス気分でいられるし、
僕は無信仰ですが
クリスチャンであれば
そうしたモチベーションさえ
持ち合わせているのなら
毎日、神様の祝福を与えられる事に
感謝せずにはいられないでしょう。
お盆だってそう。
毎日がお盆だと思えるのなら、
この世を去っていった人を惜しむ心を
毎日だって抱く事が出来るわけで。
いつに、こうしなければならないとか
ああしなければならないとか、
そんな垣根は取り払って、
毎日が祝福されるべき一日であっても
良いのではないかと思うのです。
そうすれば、
毎日が特別な尊い日となり、
人はその事に
感謝を捧げずにはいられなくなる。
信仰や宗派を超えて、
毎日を特別の日とし、
祝福されるべき毎日である、
そう考えても
良いのではないでしょうか。
「クリスマスに飽きた」
その真意はそこに在ります。
1年、365日が
常に神様を賛美する日であるのなら、
クリスマスは要らないんですよね。
それはなぜかととわれたら、
答えは単純明快。
毎日がクリスマスだから・・・。
それはきっと、
毎日きちんと部屋の掃除や整理をしていれば、
大掃除などする必要ないのと同じで、
いちいち、一年のとある日に
特別なお祝いをする必要がない事を
意味するものです。
そう言う意味で、
毎日が特別な日ならば
わざわざ12月24日~25日を
クリスマスとして祝福する
必要も無いのですよね。
日々、毎日をクリスマスと思い
敬虔な心を持って過ごす事が出来るのなら、
クリスマスは要らないのです。
なんかそう考えるようになったら、
なんというか急に
クリスマスと言う商業的な行事に対して
違和感を覚え、
興ざめし、
不必要なものに思えてきたのです。
毎日を神と過ごす事が出来るのなら、
日にちの決まった
宗教的、商業的なキャンペーンなど
必要ないと思うのです。
最初に言った
「クリスマスに飽きた」
というのは、
つまり僕は常に
自分の、自分自身のための
オリジナルの神様、
たとえば精妙に仕組まれた
大自然の摂理や意思といったものと
日々、供にあるのなら、
もうクリスマスなんて必要がないのだ
ということ。
だって、
毎日がクリスマスなわけだから。
きっと神様も、
あの世へ旅立ったあの人も、
一年のある期間だけ思いを馳せるのではなく、
毎日、毎時間、毎分、
常にその存在を感じ、思い遣る。
そうする事の方がきっと
嬉しいはずだと思うのです。
日々、神様や先祖の存在を
意識しているのなら、
そうした行事をいちいちする必要なんて
無いのではないでしょうか?
皆さんは
クリスマスや正月、お盆を
どのように捉えているのでしょうか?