かつては路上ライブ日和だ!とアガッた時代もあった

お天気の良い日曜日です。

以前なら
「路上ライブ日和だぁ〜!」
と、テンションを上げたものでしたが、
今は違います。

2018年現在、最後に路上でライブをしたのは
2年くらい前だったでしょうか。
ちらっと、その時も書いた記憶があるのですが、
今の栄界隈ってエネルギーが無いんですよ。

と言っても、「見た感じ」は別に
特別寂れているわけでもないし、
普通の繁華街と何ら変わりはないのですが、
ううん・・・、どう表現をしたらいいのか分からないのですが、
空気が悪いと言うか・・・???

全然、清々しくない。
まあ、僕がやってた頃からすでに
あまり空気は良くないなとは感じてはいたけれど、
なんか今は
「卑しい欲の気」しか残ってない・・・。

5月の栄というのは
実際、僕がライブをやっていた頃から
栄の別の場所でも路上ライブをする人がいたり、
あとあとになって大きなライブイベントを
するようになったり、と
「見た目」だけは盛り上がっているように見えるのだけれど、
そこまでやっている割には
エネルギー、活気が今ひとつ感じられない。
そこはかとなく、「枯れた」空気があるのが今の栄。

エネルギーの量で言ったら、
例えば30年近く前に
小さなライブハウスで普通に存在した
一晩のイベントの熱量を
ダラーっと栄という街一帯に薄く引き伸ばしたような感じ?
見ている人も生気の無い人が多いし。

そう。

『生きていない』

まあ今はイベントビジネスの様相を呈してきて、
お金だけは周るので
ライブイベントの存続という意味では
当分は安泰なのだろうと思いますが、
「演者がなぜ、そこでライブをする必要があるのか?」
という点を考えた時、
演者の「思い出づくり」以外の
コストパフォーマンスがすっかり低くなってしまっている、
僕としては、そのように感じたのです。
まあ、2年も前の結論ではありますが。

パフォーマンスに足を止めていく人と同じくらい
演者の数が多いような状況の中で
パフォーマンスをしても、
それに見合うほどの得るものは少なくなってしまいがちになる。

演者が増えるほどに(その割に見る人は比例的に増えない)
宣伝効果は下がるわけで、
じゃあ、どうする?って話なんです。

まあ、そこで人脈やコネを作りたい人にとっては
良い交流会なのかもしれませんが、
そもそもの「純粋に演ずること」という点に
こだわるのなら、
そういう「容れ物ビジネス」の中で
ショーウィンドウのマネキンのように
パフォーマンスをするのは、
どこかポイントにズレを感じてしまうのです。

もちろん、僕の言っていることが
すべて正しいという気は無いし、
持論を啓蒙する気もさらさらありませんが。
一つの個人的見解、意見として。

何れにしてもとにかく、
僕の感覚として
現状として今の栄の路上の空気に
独特の窮屈さや惰性の重たさを感じるのは事実。

通行人も
「またやってる」
くらいの感覚になっていて、
あまりイベント自体に意識が向かなくなっている感が、
時折、無きにしも非ずなこの空気。
一言で言えば、
「なんか、今、この場所に魅力がない」

またそのうち、空気が変わってきたら
検討することもあるでしょうが、
当面は路上ライブは凍結だな、と思っています。

もっとも、
僕自身も、あと何年もすれば
初老世代のミュージシャンになってしまうわけで、
こういう人間なりの
「歌う場所」(場所というか環境というか)を
今、再考、再構築しようとしているから
余計に、そう感じるのかもしれませんが。

逆に、
若い人はどんどん外へ出て
色々、自分の目で見て知るべきこともあるだろうし。
ぼったくられても勉強代だったねと
笑い混じりに後悔するのも、一つの良い経験だし。

結局は、
自分の生きる世界というものは
自分(と仲間がいれば)で
構築していかなければいけないんですよね。
勝ち馬もずっと勝ち続けるわけはないのだから。


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