続く人、続かない人

音楽に限ったことではないのですが、
「何かしら表現をし、さらにそれを発信する」
ということが、続く人、続かない人というのが
あるように思います。

それは、単純に根気や、好きという情熱の有無とは
少し違ったところに、その違いがあるように思えます。
もちろん、
それで収入を得て生活できているかとか、
またそれは別次元の話として、
もっと根本的な「何かを為すための持続力」の話です。

それはおそらく
『自分はこれをしたい』
という明確な信念を伴う情熱の有無が
続く、続かないを決めるのではないかと考えるのです。

自分が音楽のフィールドで生きている人間なので、
そちらの世界で見てきた目線で言うのなら、
例えば、
「今、あれが流行っているから」とか
「ああいうのが今、売れるらしい」とか
そういう視点しか持たない人というのは、
長い目で見ると、ほぼ間違いなく続かないし、
続けようとしても
大抵は途中で頓挫してしまいます。

あれもこれもと、追えば追うほどに
全部が逃げていってしまう。
だからそのうち、限界が来るのでしょう。
結局、やめてしまう要因で一番多い気がします。

そういうケースをいっぱい見てきました。

もちろんこれは、
「一本の筋を通せているか」という話なので、
あらゆるところで当てはめることが
できるのではないでしょうか。

その「筋」という『自分だけの信念』を見つけて
通すことのできる人というのは、
きっと、そのことを一生やっているでしょう。
たとえそれで食べていけなくても、です。

あれこれと手を伸ばすこと自体は悪くはありません。
その開拓で得たものが、最終的に
「一本の筋」に集約してくものであるのなら。
しかし、収斂されていく「信念」もなしに、
つまみ食いしたところで、
それは何一つ身にならないです。
何一つも。

「信念」とは
「その人はこのように生きた」という証明書です。

その証明書を持っていたところで、
それを誰も評価しないかもしれません。
死ぬまで、いや死んだ後にも。
生涯を賭して貫くほどのものではないのかもしれない。

けれど「信念」を持たない人は
何も生まないし、
何も残らない。
家畜の生涯と大差ない人生しか歩めない。

ならば、と
「信念」を貫くだけでも、
それはそれでこの世で生き抜くのは難しいのです。

そこで問われるのです。

死人のように浮世の奔流と同化して生きるか、
それとも
たとえ、孤独と死の影に怯えながらも
人を生きることを選び続けるか、と。

この問いで、何を選ぶ人であるのか、
そこに
続く人と続かない人との
分岐点があるような気がするのです。