内面との対峙

C.J/R
人はときに内向し、
自分の内側と対峙する期間を
設けることが必要なものなのです。
自身の内面を見つめるという行為は
新たな自身の一面の発見と、
これから先の人生の向かうべき
方向性の示唆を得ることに
直結しています。
ただ忘れていけないことは
人は内側だけを向いて
人生を歩んではいけないということ。
自身の内面を
よくよく精査し
新たな行くべき道を
見つけたなら、
今度は外側の世界、
つまり外界と関わりを持って
生きていかなければならなものなのです。
むしろ外界との関わりを
より良い実りあるものにするために
人は一定の期間
自身の内面を見つめる時がある、
そう言った方が良いのかもしれません。
また、内面を磨く事によって
そのあと経験する
外界での出来事も
大きく変わってくるでしょう。
人は、
自身の内面に見合っただけの
外界での経験をするものなのです。
内面と対峙し、
その内面をより高みへと
磨きをかけた者には、
より高い次元の外界での
体験が待っています。
しかし、
内面を貶めるようなことがあれば
外界に出たとき
低いレベルでの現実を
体験せざるを得ないでしょう。
それはなぜか。
外界とはつまるところ、
個々の内面の投影に過ぎないからなのです。
内面が外界の体験を
形成している、
それがこの世の真相なのです。