「結果」の存在意義

C.10
この世には
不思議なことに、
同じ努力をしても
その成果に
恵まれる人と
そうでない人の
二通りの結果を経験があるのは
何故なのでしょう。
ひとりは
多大な努力をして
その成果を収め、
大きな恵みを手にします。
かたや
もう独りは
同じように心血を注いで
努力をし、
それでも結果を残せず
恵みの一つも得られないのです。
何故なのでしょう。
それは「恵みを手にする」
という事のみに論点が行き、
そのさらに向こう側にある
「結果」という
要素に対して
気付きをもたらすことを
重要視していないため、
そこに差が出るものだと
錯覚してしまうのです。
恵みを手に入れたにせよ
入れられなかったにせよ、
必ずそこに「学び」という
結果はもれなく与えられます。
その点に於いては
逆に恵みを
手に入れられなかったことの方が
多大な学びをもたらす場合もあるのです。
しかし人は「恵み」を
得られたか得られなかったか、
その次元でしか
結果を論ずることが出来ないものです。
人の為してきたことには
必ず学ぶべき何かが
ついて回ります。
体験してきた過去の
ひとつひとつ全てが
学びの教材なのです。
欲しいものが得られなくとも、
人は学ばざるを得ません。
得られても学ぶべきものはあります。
そこまで人生を深く洞察してこそ、
真の「恵み」ある人生を
歩むことが出来るのではないでしょうか。