対立と想像力

C.9
対立する人と人、
理解し合うことが出来るのでしょうか。
対立し、我を張るもの同士
事を納めることが出来ると知れば、
どちらかが折れ、
何らかの犠牲を払わなければ
ならないのでしょうか。
二者を対立させるもの
つまり障壁は
結局のところ
自分が一番正しいという
ドグマティックな
発想が根底にあるのでしょう。
相手の立場に立って理解すること、
それは自己犠牲とは違います。
自分が相手の立場にあれば
どう振る舞うだろうと考える
想像力です。
その想像力の欠如が
両者の溝を深めていくのです。
相互理解とは
他者を思い遣る想像力であり、
この想像力があれば
どちらかが
犠牲を払うなどという
概念はそこには無くなります。
常に相手の立場に立った時の
状況と、その状況下での振る舞いを
想像して物事を考える、
これこそが健全な
人間関係の在り方なのでは
ないでしょうか。
いずれにせよ、
対立するもしないも
互いの想像力、洞察力の
深さの差にによって、
その関係性は
無限のパターンを織りなすものなのです。