寂しさの正体

C.8/R
人は寂しさを感じたとき、
大抵の場合
自身の精神的外界との
繋がりを断絶しているものです。
「寂しさ」とは
受動的に体感する感覚ではなく、
実のところ
能動的に自身の心から
発せられる
悲観の叫びなのです。
簡単に言うなら
「寂しさ」の正体は
「悲観」にあると言っても
過言ではないでしょう。
心が悲観的になっているから
それを打ち消してくれる
人なり、物なりを求め、
それが見つからないから
寂しくなるのです。
しかしながら、
根底に根付くものが
「悲観」であるが故に
何を求めても、
何を体験しようとも、
その「寂しさ」は
埋まることはありません。
「悲観」とは
自分自身が能動的に選びとった
心の状態だからです。
故に、
「寂しさ」から抜け出すには
心に根付く悲観的な想いを
安心させてやる必要があるし
また、それを求めるが故に
無節操に悲観的な
心の隙間を埋めようと
あれやこれやと、
むさぼるように
あらゆることを体験することで
安心していい理由、
つまり「悲観」を打ち消してくれる物事を
渇望するようになるのです。
しかし「悲観」は
自身の能動的な心の在り方である以上、
真の平穏は得られないでしょう。
そういう時にこそ
心から能動的に
「安心」することが必要なのです。
ただ悲観的な心の在り方に
浸かっている限り、
人の心は頑になっているものです。
だから「悲観」を「安心」へと
転換させる術は
非常に難しいものなのです。