ブランド考(希少性)

ブランドの構築にとって
希少性という要素は非常に重要なものであり、
かつ絶妙な「さじ加減」を要するものでもあると
思うのです。

これは前回の記事の内容にも
通じる部分ではあるのですが、
普及しすぎてチープにならないような
「さじ加減」の辺りどころを、どこに持っていくと
ブランドたる希少性を獲得できるか、
というところが今回の内容です。

ここで言うところの「普及」とは
現実生活の中での浸透度という意味なのですが、
例えばここで実例を挙げると、
「うまい棒」
これはブランドたり得るでしょうか。
1本10円のチープな駄菓子です。
どこにでも売っています。

このお菓子を好きではない人もいるでしょうが、
何十年も愛され、認知され、
いまだに売られているということは、
このお菓子は「本質的な哲学」を有していることの
現れであるのでしょう。
しかしかと言って、現実の実生活の中で
どこもかしこも、「うまい棒」が氾濫している
という状態ではありません。
「うまい棒」は必要な時に、必要な分を買ってきて、
食べて満足すれば、
「うまい棒」から離れられるのです。

決してレアな商品ではありませんが
CMさえ見ることもなく、
こちらが食べたいと意識しない限り
綺麗さっぱり「うまい棒」から解脱できるのです。
つまり、これが「レアさ」の本質だろうと考えられます。

このように見ていくと、
「うまい棒」はそれ自体に
ブランドたり得る要素を十分に持ち合わせていると
考えられるのではないでしょうか。

現代の商品を売る市場の中では
大量に露出し、氾濫させ、
それこそ集団催眠を施すようにして
物を売るという方法が横行していますが、
ブランドの確立という点からすれば
これは長いスパンでの結果論的に見れば
明らかに逆効果であると言わざるを得ないでしょう。

希少性もなく、ただただ安売りされたものが
余るほどに溢れかえっている。

ガンダムは出れば出るほど
斬新さを失っていくし、
スターウォーズのダースベイダーは
映画になるたびに、そのキール性を削がれ、
芸能人もバナナの叩き売りになる。
そして売れ残ったリソースが
大量に廃棄されていく。

この段階で、これらは
「うまい棒」ですらなく、
季節が来ると湧いて出てくる害虫と
同質のものなのでしょう。

これは、コンテンツが浸透して
ブランド化するというより、
腐敗が進んで陳腐化している状態なのだと
「売る側」が認めようとしないことに
大きな問題がある気がします。

希少性(生活への浸透度)を低くしては、
大企業の方法論では商売にはならないと思います。
そうすると、「本質的な哲学」は排除し
企業にとって収益性の高い、量産できる「安物」を
消費者に「ブランド」と思い込ませて
売るしかなくなるのです。

氾濫してもなお、
その獲得した大量の需要を維持するには、
品質を下げて、安く上げるしかないと言うことなのです。

そのために、してはならないことというのがあって
それが「客の感性を育てること」、
つまり、客を賢くさせないということ。

「客」が良いものを求め始めると
それを満たす製品のコストが上がるからです。
だから「客」は「眠ったまま」にしておかなければなりません。

実はこれはショービジネスでは
当たり前にように横行している悪癖で、
例えば「ディズニー」などはこれに該当する感じます。
「アップル」も足を突っ込んでしまい、
おそらく、この沼に丸ごと飲み込まれていくでしょう。

ブランド、つまるところ
「プライド」と同質ものにこだわると、
誰もそれを認知しないし、
押し売りのように喧伝すると
伝播はするかもしれないけど、チープになる。

この「さじ加減」が上手な会社の製品は
長く愛されるブランドになるように思えます。


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