ブランド考(普及するということ)

普及する、つまり広く伝播するということは、
つまるところ、チープになっていく
というものなのです。

経済理論的な表現で言えば、
おそらく、低リスクかつ容易に
利益を得るための、合理的な方法は
チープにするとこであるのでしょう。

しかし、
広く伝播していくのに比例して
ブランド性が高まるかといえば
そうではありません。
また、「ブランド性」と「価格」も
等価ではなく、関連性も乏しいでしょう。

それはつまるところ、
いっときの人気や流行とブランド性とを
等しく関連づけることはできないということです。

僕が考えるに、
今、アップルが進めている(気がする)
高級路線というのは、いささか無理があるような
気がするのです。

例えばアップル製品を
メルセデスやエルメス、ブルガリ等々の
高級ブランド群に迎え入れるには、
永続性のある哲学に乏しいと思えるのです。

型落ちや中古の価格が
もともとの販売価格に対して極端に低くなるのは、
言い換えれば、
新しいものである以外に「価値がない」からで、
これは製品自体そのものに
永続的な哲学を含有していないことの証明でしょう。

にも拘らず、
毎年毎年、良くなっているのか
逆に使いにくくなっているのかも
よくわからないようなアップデートを繰り返すのは、
高級ブランドの持つそれ、というより
むしろ普及し、チープになっていく製品のそれに
近い路線を辿っている気がするのです。

永続的な哲学をおざなりにして
露出や喧伝を大きくするだけでは、
長期的には自分の首を絞めるようなものなのです。

それはアップルも同じこと。
今のままだと
出せば出すほどチープになる。
けれど、一度動き出した市場の力学は
止めることができないから
目先の利益のために、チープになることを
強いられるのです。

デジタル技術というものは、
「実像」のある、人にとって基本的かつ普遍の道具に
使う人がそれを意識することなく組み込まれることで、
よりそれらの製品が便利になる、
という質のものだと思うのです。

日進月歩のデジタル技術を前面に押し出すと、
どんどん、製品そのものの軸がぶれるし、
何より、あっという間にチープ化するのです。
チープ化と引き換えに普及化するのですが、
結果的に「ブランド性」は
日を追うごとに「二束三文」に漸近していくのです。

その製品を長く使って陳腐化しないのが
ブランド力なのだとすれば、
たった1年で古いものになるそれは
結果的に「高くつく」ものなのかもしれません。
だから、
「良いものであること」を保証しながら
長く使える製品とそのブランドは
(ちょっとブランド感覚がおかしい日本人はともかく)
永くブランドとして認められるのでしょう。

こういうところに
100年経っても揺るがないブランドと
流行り病のようなあだ花との
違いがあるのではないでしょうか。

確かに、製品そのものの性質上
仕方のない部分もあるのでしょうが、
上述したところの
メルセデスやエルメス、ブルガリと、
頑張って高級に見せようとするアップルとは
越えられない境界線で
住む次元を隔てられている気がするのです。