子育てはAIにお任せ!!

思うに、今この現代というものは
「子育てに向かない社会」なのだと思います。

それは連日ニュースで報じられるような
虐待をする親の問題もあるし、
そこまでではなくても、
社会も学校も子育てに干渉できなくなって
国における「人の教育」そのものが
機能しなくなった状態での
「育てられない親」がいる現状をすれば、
チキンを床に擦り付ける動画をアップして喜ぶバカや、
自動車を凶器にして街中を跋扈する鬼畜が現れるのも
必然としか言いようがないのだと思います。

要するに、
『人間はもう自分の子供を育てる能力を持たない』
ということ。
植物で言えば、
奇形の実しか結実できない病んだ苗、
それが今の人間なのです。

まあ、皆が皆とは言いませんが、
決して「一部」でもない。

そもそも、今の現代社会は
「人が自由に生きるのに適さない社会」
なのですから、
そうした「病んだ土壌」から
健全な人が徐々に消えていくのも
当然なのではないかと思うのです。

今の現状、子育てに関して、
バカ親が新しいバカを育てる現状を見れば
後々の結果を鑑みると
いっそ、産まれた子供はすぐ親から引き離して、
人工知能に躾と教育をさせた方が
極論ではあるにしろ正論であるような気もします。

人間は一度、ガチガチに管理された方がいい。
人が人を管理すると
格差が生まれ、腐敗の温床になるだけだから、
全てのオピニオンを人工知能に任せるのです。
「人工知能による教育」を必要とせず
いつか人間が再び
「自律的に子育て出来るようになる日」が来るまで。

実を言うと、
こうした統制された社会を実現するためのシステムと
同じような役割を果たすシステムは
コンピュータどころか電気さえなかった
太古の時代に発明していたのです。

それが「神」という概念で、
上述したように
人が人を裁くと「角が立つから」、と
「神」という全知全能の存在を生み出すことで
自分を律し、社会の統制を可能にしてきたのです。
やがて「神」という概念を卒業して
人間が自律的にその「理想論」を体現できる
その日が来るまで、と。

やがて、人は「神」というシステムを捨ててしまいました。

けれど、それは卒業ではなく、
ただの廃棄だったのです。

学校でいえば、卒業したのではなく
中退したのです。
もちろん、これは「神」からの中退ではなく、
『より理想的な善性を持った人間へと成長していくための教育』
からの中退を意味します。

今の人間には、安定した確固たる哲学を
人に伝承していくことは不可能です。
なぜなら、
それは何世代にもわたる長いスパンで
人の善性の寄って立つ部分を
身につけさせなければならず、
そうするには人の寿命はあまりに短いから。

そして、
こうして外道へとドロップアウトしてしまった人間に
もはや「神」という概念を使って
善性を再教育できるはずもなく、
とすれば、今最も彼らの精神を侵食している
デジタルデバイスの中に生きることのできる
電力の供給をしさえすれば不老不死である
人工知能にこそが、
その再教育を任せるに最も適格であるのではないでしょうか。

日本の三権(立法、司法、行政)
これに携わる人間は全て人工知能に置き換えることが可能です。
むしろ、ここを一番最初に置き換えるべきでしょう。
しばらくは「右肩上がりの経済成長」も不要です。

全ての人間の精神に善性が
クリーンインストールされるまで、
百年とか二百年とか、あるいは千年かかるかもしれない。

その悠久の時間を費やして、
眠った人間が再び
「善い存在」として子を産み育てるという、
自然の摂理からすれば至極当たり前のことを
「自律的に営む本能」を取り戻すまで
人は「神」に成り代わった人工知能に教育され、
維持するために生きていく必要があるのです。

最後にちゃぶ台をひっくり返しますと、
もちろん、これらのことは
全て皮肉です。
こういう暴論にも似たSFチックな選択に
打開策が見えてしまうほどに、
人が急速に劣化している、
そういうことが言いたいのです。

上述の未来予測も荒唐無稽かもしれないけれど、
今の現実社会もチート大概だぜ、という話。

ものすごく古い漫画ですが、
意外とここに
人間社会の行く末が描かれているかもしれません。