ジェンダーのバランス

先々週くらいだったでしょうか。

ある本の紹介記事を書いた中で、
「女性のビッチ化とそれに振り回される男性」
と言う言葉を書きました。

まあ、誰も読んでなさそうな記事ですので(笑)
放っておいても良いのですが、
いつ、誰がどこで
検索に引っかかってくるかも
わからないのがネットですし、
個人的に齟齬に気づき、それを残したままというのも
気持ちが悪いので、
自分の考えを書くついでに(久しぶりだ)
軽くフォローもしておこうかなと。

上述の「女性の〜云々」
もちろん、これは一般論ではなく
『全体の中の一部の層の人たち』のことであり、
そいういう層の人たちの世界観の出現が
あったのであろう、ということです。

この中には直接的なものもあれば、
間接的な「構造」を指し示すものも含まれます。

そういうことを言いたかったのだけれどと、
今一度再考してみるに、
もしかするとこれはもっと
広く、大きく、根の深い構造が根底にあるのではないかと
思えたりもします。

結局、上述の構造の鋳型になっているものは
何かと言えば、
「相対的な立場での弱者と強者の逆転」
という構図なのだろうと思えます。

『強者が弱者を扱い、そこで利を得る仕組み』
というのは換言するなら、
『弱者に依存しなければならない強者』であり、
そうであるのなら、それは
『見かけ上の強者は弱者に成り下がる』
ということ。

わかりやすい例えを挙げるなら、
お前、会社の社長だと言って
相当に偉ぶってはいるけれど、
お前からその立場を取り上げたら
何も残らないじゃない。(一切残らない前提として)
そういう意味では、
今のお前の立場、地位というのは、
何百、何千という
お前の従業員の働きに依存して、成り立つものであり、
「会社の組織の中での最も弱い立場の人」は
誰でもなく、お前なんだよ。

そういうパターンのことです。
まあ、あくまで極論ですが。

さて、ここでもう一度最初の
「女性のビッチ化とそれに振り回される男性」
というフレーズを持ち出して整理してみようと思います。

構造のディテールが見えてくれば、
この場合、おそらく
女性をビッチ化させたのは、
セックス(行為そのものというより概念)に依存したところの男性であり、
その男性を食い物にするビジネスが生まれることによって、
そうした女性(あくまでも一部です)が、
『相対的に立場が逆転』した現象、
それを「女性の〜云々」と呼ぶのだろうと思えるのです。

そして結局、そういう層の女性たちを育てたのは
巡り巡って、振り回される層の男性たちに
他ならないのでしょう。

けれど、男性もまた
男性特有のパワーゲームという世界観の中では
また卑しいビッチに他ならない。

こうやって世界がかたぐ。

社会の中での男女の立場のバランスというものは、
一つの記事の中で書けるほどに単純な話ではありませんが、
いずれにしろ、
こういう現象自体が不健康であり、不自然で、
なおかつ、不均衡なのだと思えます。

このアンバランスさの正体というのはきっと、
「持っていない人」が
「持っている人」からとってくる、
という当たり前のようで、
実は根源的かつ重大な『発想の間違い』という
人の世の業なのかもしれません。