「暇」は悪か?

僕の日常の中で
数年に1度くらい、
もの凄くまったりする日というのがあります。

まあ、今日がそんな日だったわけなのですが、
思い返してみると僕の場合、
それは大抵、晩秋というか、初冬というか
だったりした気がします。

おそらく、
夏特有のエネルギーに満ちた空気から、
そしてそれをクールダウンする様に訪れる
秋のレジャーシーズンを過ぎるまでの時期と
12月後半からの「次のひと山」との間の
谷間になってるのだと思います。

それは僕個人のライフサイクルというより、
街の雰囲気、空気が
年末の慌ただしさが来る前の
ふと、ポッカリ空いた隙間の様な、
それは「寂しい」という雰囲気ではなく
むしろ落ち着いた柔らかな時間。
活動的で尖った空気と
対極にあるバイブレーション。

そういう、静かな休日。

そして思うのは、
人生というのは意外と
山のピークあたりにいるよりも
谷の底辺(ネガティブな意味ではなくて)あたりにいた方が、
物事の本質を見る「意識」というものは
結構、明瞭になっているにではないか、と。

アクティブでダイナミックな時期の日々は、
往々にして、
「今、ここ」を生きるだけでいいけれど、
「今、ここ」しか理解できない。
それに対して、
スタティックというか、動きのない時期には、
どちらかというと、「今、ここ」よりも
未来や過去のイメージがよく見えているものなのでしょう。

今日、僕が過ごした一日も、
物事をフィジカルに捉えるなら
もの凄く退屈で、寂しい一日なのかもしれません。
けれど、明らかに
内的世界の方向、つまり平たく言えば
「何を考え事するにも」
もの凄く自由で豊かな一日だったとも
言える気がするのです。

というか、少なくとも
今日、僕はそう思った(笑)

よく、ポジティブでいましょう!と言われて
悲しい時も、無理やり
ポジティブシンキングを自分に強いることが
あったりしますが、
実は、これ全然ポジティブではないんですよね。
悲しい時は気が済むまで悲しんだ方が
よっぽどポジティブだと思うのです。

だから、
暇な時は、
「暇」を遊べば、そこそこ楽しい。

幸い僕は今日、悲しいことも憂鬱なことも
ありませんでしたが、
そんな「何もなかった」一日だったからこそ、
こんな記事も書けるわけで、
こうやって
物事をポジティブ、ネガティブではなく、
「自分に優しい」捉え方ができると、
結構、いろいろなことが起こる日々が
何気に豊かになる気がするのです。


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