クリスマスを再評価する

結構前から、僕の中では
クリスマスはオワコン的な印象があったんです。

ここでいう、クリスマスというのは
バブル時代の頃からある、「昭和のクリスマス」
クリスマスにケーキとチキンとシャンパンをかっ喰らって、
スキーに行ったり、
カップルはこの日の種付けを妙にありがたがったり。

まあ、僕の世代がパッと思い浮かぶ、
日本のクリスマスの風景。

かれこれ10年以上前に、ちょっと病んだ文体(笑)で、
そういう昭和的なクリスマスって
今の時代の景色じゃないよね、みたいなことを
書いたこともありました。

そんな記事から10年。

結局そういう「昭和的クリスマス式娯楽」は
そのまま廃れて消えて無くなったかと言えば、
そうなりはしませんでした。

10年前に僕が勝手に
「オワコン」認定をしてしまったクリスマスだけれど、
ここにきて数年前からよく聞かれるようになったのは
「クリぼっち」という言葉。

クリスマスは独り(もしくはそれに準ずる)で家で
ちょっぴりリッチな美味しいケーキを
自分用に一切れ買って、つましい夜を過ごす。
(なんか、少し定義が違うかな・・・?)

バブル期のクリスマスから比べれば、
地味で寂しいクリスマスです。
むしろ、バブル期であったら
こういうクリスマスの過ごし方は、
『自虐ネタで吹き飛ばすしかない恥』
とされてさえいたと思います。

クリスマス(日本の)のパワーが弱くなって、
クリスマス離れし始めた頃にハロウィン(日本の)が
出てきたことによって、
なんだかうまい具合に精神性の寄り分けがされたのかな、と。
もちろん、クリスマスとハロウィン、
どちらか一択というわけではないので
ハロウィンでみんなでコスプレして楽しみつつ、
クリスマスはぼっちで、みたいに
そうやって、空気やシチュエーションを楽しむものなのでしょう。

ただ、僕が興味深く感じるのは、
お化けになって街を跳梁跋扈するハロウィンと、
独りでささやかにまったり過ごす(過ごしてもいい)
今様のクリスマスとが良い対比になっているところ。

ハロウィンが日本の文化に入ってきてから
まだ日が浅いので、ハロウィンがこの先
日本でどのように楽しまれるかは分かりかねますが、
昭和の時代から親しまれてきた
日本式のクリスマスに関して言えば、
女をたらしこめる口実にするでもなく、
パパに高級貴金属を買ってもらう口実にするでもなく、
なんだか成り行きで自然に
家でささやかに適当なケーキでも食べて
ほっこり過ごすという、いわゆる「クリぼっち」的な
過ごし方の方が、
日本人に刷り込まれている本来の
「クリスマスの原体験」に近く、
結果的に、本来のクリスマスの在り方に
戻っていっているのかもしれません。

寓話の中のマッチ売りの少女が
凍えてマッチを擦って見ていた風景は、
こっちのクリスマスなのだろうな。
そういうふうに考えると、
欲にまみれて堕落し、挙句にお化けに押されて、
影の薄くなったクリスマスではあったけれど・・・。

つまり・・・、
おお!ここに、ジーザス・クライストが復活していたのか!!
とならなくもない。

と、考えると面白いよね、というお話。

日本のクリスマスといえば、これでしょ

もしくは、
ガキはこれ飲んでサンタ待ちしとけ(笑)