自身と対峙するという事

H.2
たとえ今
心、思い悩んでいたとしても
時が解決してくれる、
そういったことが
少なからずあるものです。
つまり今、
解決しない問題というものは
常にあるということです。
ならば、それは何故
解決しないのか、
それを
深く考察すべきです。
今、問題が解決していない、
それすなわち
その問題が
とある過程にある状態であると言えます。
ならばその過程は
なぜそこに存在するのか。
それは
自身により深い英知、
示唆、思慮、洞察など、
様々なものを
教示するために
その過程はあるのであり、
またその過程の重要性は
問題解決の比ではありません。
端的に言ってしまえば
結果、つまり
問題が解決したか
しなかったかなど、
どうでもいいことなのです。
重要なのは
その問題に対峙した時
自分自身は
何を為したのか、
何を得たのか、
そして
何ものであったのか
それこそが
問われるべきなのです。
「問題」とは
それが問題であるうちが「問題」であり、
それが過ぎてしまえば
「問題」は
何を経験したかという
清算を経ねばならないでしょう。
その清算を経た時
初めて自身の自我が
ひとまわり大きく
成長していることが
望ましいのであり、
またそのことで
疲弊して悲観的になってしまっては、
せっかくの「問題」から得られる
教示も見いだされない
無意味なものになってしまうのです。