お前の胸の真ん中にあるものは何だ!

今年もすでに折り返し。
名古屋でも雨の季節の足音が聞こえ始めました。

んがっ、しかし・・・。

この半年といえばコロナしかあらへんがな・・・。
感覚的には、いまだに初春のままです。

そんな中、僕は淡々と
曲を作り続ける人なり。

普段、何かしらの節目もない限り
動画も作らないような無名である僕が、
こういうご時世でいきなり
なんの脈絡もなく
無理やりなテンションで饒舌に、
「医療現場で働いてくれている皆さん、ありがとう!」
とやったって、ひたすら見苦しいでしょ?
有名人でも見苦しいのに(笑)

自分もちっぽけながら
娯楽に関わる人間として思うのは、
世の中がとっても大変な時というのは
やっぱり、娯楽はいらんのですよ。
提供する側は認めたくないし、
自転車操業でやっている人であれば
死活問題なのは理解できますが。

目の前で起きているボヤに対峙して、
「俺の作品は、いつか火をも消すんだ!」
そう信じる人は、割と真面目に多い。

こういう物の見方は、冷めた
つまらない見方だ、そう考える人もいるだろうけれど、
そういう現実、まあいわばTPOというべきものを
わきまえられないと、
表現の説得力を失うだけだと思うのです。

アーティストにとっての信用、信頼の目安というのは
後にも先にも、まず共感力なんですよ。
人に笑顔を売るより、
人の悲しみや苦しみをほんの少しでも
引き受けて背負ってあげることの方が大切。
それを満たした上で、笑顔が売れれば良いよね。

キラキラと泡立つシャボン玉はそれは綺麗でしょう。
そのシャボン玉は
地べたで石鹸をゴシゴシやっている人がいるから。
まあ、僕もそうだったけれど
ミュージシャンってアホが多いから(笑)
特に若いうちはみんな
シャボン玉になってフワフワ浮かんで、
キレイキレイともてはやされたがるもんなんですよ。
いつか必ず弾けるのに・・・。

え?何十年もキラキラしてる人はいる。
うん。いるね。けれどそういう人は
実はシャボン玉じゃないんだ。
安売りできない宝石を持っている人たちです。
そういう人たちも結局、実は
地べたの方で誰かが磨いた結果なんだぜ。
まして、下界で気軽にシェアなんてできない
オンリーワンな人たちなんだ。

流石に、僕も50手前になると
自分はそういうタマではないことも薄々わかってきて、
そしてなおかつ、
人生の仕組みというのもなんとなく理解できるようになって、
それでもなお、いつでも用意できる作品が
今もあるとなれば、
僕も腹を括って
作品をなんでも良いからとにかく
なんとか残ってくれと出力することを
自分の天分と腹を括って、
ひたすらに淡々とそれをするだけなのだろうなと、
悟ってくるものです。

なんだか、文章がまとまらなくなってきたけれど、
今、こんな時、
世の中のいろいろなものが
崩れそうになって
ウワーッとなっている時だからこそ、
「自分にとっての大切なもの」というものは
しっかり心の留めて、
それによって生かされていることを
再認識したいよな、と思えるのです。

そしてこの心の真ん中に
一番尊いものがしっかり鎮座していれば、
目の前に広がる世界はいつだって大丈夫。
真ん中にそれがあればね。
案外、見ようによっては
それも宝石だったりするかもしれない。