恋も叶ったり叶わなかったり・・・

先日の僕のブログの話題の中で
僕自身の人生経験上、
望んで叶う物事と叶わない物事があって、
もしかするとそれらには
一定の法則性があるのではないか、
そういうお話をしました。

軽くおさらいしておくと、
望むものに対して渇望感を感じるくらいに
欲して追い求めると
望みはなかなか叶わなかったり、
逆にそうした渇望感を感じる事無く
なんとなく「こうであったらいいな」と
常日頃思っている頃は、
割とすんなり、たちどころに叶うわけではないけれど、
知らないうちに気づいたら、
望むもの、状況を手に入れていたりと、
その望みが叶うか叶わないかというのは
心というか、気持ちの在り方が
大きく関わっているのではないか、というお話。

実はこの記事を書いている時点で、
例えばこのような事例も、というような感じで
ふと思うところがあったのですが、
話がそれるのでやめた事を
今日はお話ししてみようと思います。

思うに上述のおさらいの内容は、
これまさに例えば
恋愛に当てはめても
あながち間違いではないような気がするのです。

皮肉なもので恋というものは、
あまりに好きすぎると叶わないです。
運良く叶ったとしても意外と短命で終わる。
もちろん、例外などたくさんあるでしょうが
まあ往々にして、そのようなもののような気がします。

恋しく想うと、
それはもう恋しく想うと、
そこにあるのは
常に恋しい自分であるわけで、
たとえ事実として現実に
その恋が叶っているにもかかわらず、
想う心は未然のままの状態が続くのものだったりします。

簡単に言うなら、
いつも追い求めた相手が
今そばにいるのに、
追い求め続ける事が目的になってしまうと
逆にその相手を自分から無意識に
遠ざけてしまっているのではないかという事。

もっと簡単にひとことで言うなら、
「恋は求めると叶わないよ」
という事。

もちろん、ひとことでこう言ってしまうと
いささかアンビバレンスをはらんでしまう
言い方になってしまいますが、
それでもとどのつまり、
求める想いが強いほどに
逆にその人は遠い人になってしまう。

先日の願いが叶うか、叶わないかの差についても
同様の事なのですが、
自分から取りにいこうと
もがいているうちは、
それはなかなか手に入りません。

取りにいく前に
自分の心、気持ちを整えておかなくてはいけません。

こと恋愛の場合なら、
好きな人に愛される資格のある自分だろうかとか、
その恋を実らせる前に
自分の中でクリアにしておかなければならない、
「自分の中での条件付け」がないだろうかとか。

これらの迷いともいえる葛藤は
時に自分の意識に顕在化しない事も多くあります。
見えていないとその「何故駄目なの?」が
心を悩ませたりするでしょうが、
その意識の深層部分では
おそらく
自分はその人から愛される価値はあるか、とか
その人の愛を素直に受け入れられるだろうか
などという気の迷いが
恋心に水を差すのだと思います。

故に思うに、
好きな人が出来たなら、
その恋を実らせようと
「好きですアピール」をする事も
もちろん必要ですが、
それ以前の前提として
その人に愛されるに足る自分になるための
自分磨きも必要になってくるのでしょう。

とは言え、これらは当然バランスの問題ですので、
外側はアピールするだけでは
本質が伴わないし、
だからと言って
内面を充足させる事に偏っても
これはこれで
恋のチャンスも逃してしまう。

いつも愛されるに足る自分であろうとする事、
何よりこれが大切なのでしょう。

恋が叶わなかった。

ならば愛されるに足る自分に成って、
愛される自分を受け入れられるようになるまで
顔を洗って出直してこい、と。


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