恋は勘違いするほどに美しい

長期にわたって交流する事で
互いを知り、信頼関係を築き、
やがて醸成されていくような
そういう質の恋ではなく、
わりと瞬発的で
インスピレーションを伴う感覚が
主体になる恋心、
つまり一目惚れとか
気づけば惹かれるとか、
そういう恋心というのは
およそそのほとんどは
勘違いから始まるのだと思います。

ともすれば
冒頭のシチュエーションであるところの、
長期間の交流から生まれる恋心もまた、
実はそれに至った原点、発端には
やはり元々、どこか直感的に感じる想いの中に
もうすでに巻き込まれているのかもしれません。

いずれにしてもやはり、
恋心というものは往々に得てして、
ごく初期の段階では
自分の理想や好みを相手に重ね合わせて
結びつけがちなものなのだと思います。

またもしくは、
相手が自分といかに釣り合いが取れているかを
たとえそれが欺瞞であっても
そうであると確かめようとするが故に、
逆に相手の理想を自分に重ねてみたりとか、
これもまた同質の振る舞いだと思います。

かくも恋というものは
対象となる人と
自分の好みが関連付けされる事で
始まるのではないでしょうか。

そして勘違いのまま恋は膨らんでいき
育つのでしょう。

おそらくこの勘違いを維持し、
勘違いのままでいられる期間、
勘違いも許容される期間というのが
恋において最も楽しく幸せな時間だと思うのです。

そしてこの期間の恋心のテンションは
最も高まっているのかもしれません。

しかし、そんな勘違いから育った恋も
やがてそれは自分の勘違いであり、
愛するその人の実像が
自分の思っていたそれとの
多少なりのギャップに突き当たります。

大抵、はじめは些細な不満だったりと、
その場はやり過ごせる次元のものであっても、
それも積もり積もってくると大きな壁となります。

ここで二人の関係は最初の危機を迎えるのでしょう。

思うに、この最初の危機を乗り越えると
そこそこ長くその関係は保たれるような気がします。

そしてこの危機のあとは
ギャップと現実の擦り合わせという
新しいステージへ入っていくのだと思います。

最終的には結局、
理解か妥協かを天秤にかけて
受容か拒絶のどちらかの答えを
その関係の中で求められる時が来るのです。

それは何度も問うてきて、
一生付き合うか、でなければ
その関係を終わらせない限り
延々と問うてくるものなのでしょう。

しかしながら、
そしてここが大切なところなのですが、
実はその判断が必要とされる原因を作ったのは
誰や何でもなく、
自分の「最初の勘違い」がその起因となっているものなのです。

「相手にはこうであって欲しい。そうだきっとそんな人なのだ」
元はそんな勘違いから始まっていたりするのかもしれません。

やはりなんだかんだ言っても、
この「最初の勘違い」の度合いが小さいほど
その恋は安定するのかもしれません。

けれど、それでもきっと
「最初の勘違い」が大きいほどに
大きければ大きいほどに、
その恋は甘く切なく、
時として永遠に美しいままだったりも
するものなのだと思います。


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