孤独、不安、僕の声

正直なところ
ここ数日、とても不安で孤独で
やりきれなかったのです。
それは精神が病んでいるとか
そういう次元の話ではなく、
もっと実質的な事で
不安や孤独を感じていました。
まず不安に思う事。
ぶっちゃけていってしまうと、
僕は僕自身の声が、僕自身の歌声が、
人様に聴かせられるような
「いい声」ではないんじゃないかと
自問自答を繰り返す毎日でした。
以前、とある人から
「お前の歌はキーが高いだけで全然、魅力がない
もっと低い声で唄え」
そう言われつつも、
僕の音源で聴けるあのキーが僕にとっては
自然な歌声のキーだし、
あ~、そうなんだ~という感じで
やっぱり僕はヴォーカリストとしての
適正は無いのかなって真剣に思い悩んでいたのです。
それに加え、
ライブでやる曲の練習をしているのですが、
以前は普通に唄えていたところが、
ぜんぜん上手く唄えなくなってしまっていて
正直、凹んでいました。
それも僕のヴォーカリストとしての適正を
否定するには十分の理由であり、
また首をもたげた悩み事でした。
鮎沢郁弥のファーストライブまで
あと一ヶ月を切って、
果たして今、上手く唄いきれていないところを
当日までに修正できるのだろうかと
不安に思っていたのです。
そして次に孤独に感じた事。
これは何といっても
ライブハウスから前売りのチケットを
手渡された時、ひしひしと感じました。
僕はひきこもりを経験しているので、
地元の友達とはすっかり縁が切れてしまって、
ひきこもる前に友達だった人も
今、何をやっているかとか
連絡先とか、もう何も分からなくなってしまっていて、
生まれ育った名古屋の地の
しかも実家に住んでいながら、
たった独りの毎日を過ごしているのが
僕の現状なのです。
つまり、チケットを売るにも
売るあてがないのです。
ライブハウスには売らなければならない
ノルマのチケット枚数というのがあります。
たぶんこのままいけば、
10月6日のライブも23日のライブも
身銭を切ってノルマ分の全額を
払わなければならないでしょう。
去年、職を失って
そのまますぐに精神を患って、
今も療養中で、
ほそぼそとそれまでの貯金を
切り崩して生活をしている僕にとっては、
払わなければならないチケットのノルマは
あまりに手痛い出費なのです。
でもまあ、この出費は
今後のコネや顔見せのための投資と思って
思い切って支払おうと思ってます。
だって、本当にまったく
チケットを売るあてが無いのですから・・・。
以上が僕をここ最近、凹ませている
実質的な悩みなわけですが、
今日、僕は本当に孤独ではないと、
そう確信できました。
もちろん、
チケットを買ってくれるあてが
出来た訳では有りません。
結局、自腹を切って
ノルマ代を払う事となるでしょう。
だけど、
僕がライブをやる事を
PさんとかMさんとかが、
僕が10月にライブをやる事を
ブログの記事にしてくれたのです。
正直、それでチケットは
売れる事は無いと思います。
現実的に考えて。
だけど、そうやって
なんとか僕をもり立ててくれようとしてくれる
方々の想いは、僕の心に
ダイレクトに伝わりました。
現実的な話、
僕の事を記事にしたところで、
読者の方々の反応は薄いでしょう。
その記事を見て
僕のライブを観に行こうなんて言う人も、
いないと思います。
それでも、あえて
僕の事を記事にしてくれる、
その気持ちは僕の胸には
抱えきれそうにないくらい、
溢れるほどに伝わりました。
そしてそれは、とっても
優しい温度だったのです。
もうチケットは売れても売れなくても良い。
ノルマ分の金額の身銭を切る以上の
もっとかけがえの無い、
温かい気持ちをもらえたから・・・。
そういう温かい気持ちを
お金に換えて買ったと思えば、
ノルマ代なんて本当に安いもんです。
とにかく、
その僕を思い遣ってくれる気持ちが、
本当に本当に嬉しかったのです。
僕をネタに記事を書いてくれた事が
僕は間違いなく、ひとりぼっちじゃない
そう確信させてくれたのです。
本当にありがとう!!
これで僕は孤独じゃないと
知れただけでもう十分です。
孤独さについてはこれで、
ほぼ一件落着・・・。
次に僕の不安。
それは僕の声が
そんなに高い声で魅力の無い声なんだろうか?
客観的に聴くとやっぱり
そうなんだろうなぁと、
半ば諦めておりました。
だけど、それは好みの問題なんじゃないか、
そう思えるようになったんです。
別に自慢とかそう言う訳では有りませんが、
実際に僕の歌声を
奇麗と言って
気に入ってくれている人が
何人もいてくれたのです。
僕の声に心が洗われました、
そうメールをくれ、ライブハウスとの縁を
引き合わせてくれた人もいたくらいですから。
僕に「お前の声は高いだけで魅力が無い」と
一人の人に言われ、それを鵜呑みにしていた僕。
だけど実際のところ、
僕の声を奇麗だと言ってくれる人が
何人もいてくれる。
どちらの言う事が真実なのか?
多分、どちらも真実なのでしょう。
「高いだけで魅力が無い」と言った人は、
たまたま低い声の歌が好きだった、
それだけの事なのでしょう。
もっと自分の声を愛していいんだ。
そう思わせてくれるような
メッセージを今日、頂きました。
仲の良いブロガーさんだけが
僕の声を好きだと言っているのなら、
それは社交辞令なのかもしれませんが、
まったく今まで絡みの無かった方からも、
「奇麗で魅力の有る声」というプチメを頂きました。
そのメッセージを読んで、
僕の、こんな声でも
奇麗だと思って聴いてくれる人がいる。
それも一人だけじゃなく、
何人もがそう言ってくれる。
その事実から、
僕は自分の声は
人から愛されるに足るものなのだと
確信を持てました。
僕の声が好きではない一人の言葉と、
僕の声を愛してくれるたくさんの人の言葉の数、
どちらの人の為に歌を唄うべきか、
はっきりと分かったのです。
たまたま、とある人は
僕の声を好きにはなれなかったようだけど、
他の僕の声を好きだと言ってくれる
何人もの人の為に、
自信を持って、自分の歌声を
堂々と表現しても良いんだと思うに至ったのです。
そう考えたら、
僕の胸につっかえていたものが
するっと抜け落ちて
気が楽になりました。
正直、ライブでやる予定の曲の中に
上手く唄えない部分があって、
それが気にはなるけれど、
それを修正する為に必要な
モチベーションが違います。
当日までには、なんとか
その難所をクリアして、
本番では上手く唄えるようになる、
そう信じられるようになれたのです。
今日の鮎ブログ、夕刊は
ちょっと早めの更新ですが、
最後にこれだけは言わせてください。
「僕の声を奇麗だ」と言ってくれた皆様、
本当にありがとう!!
僕は自信を持って歌に臨めそうです。
そう、これが僕の声。
僕の声なんです。
嫌いな人もいるだろうけど、
好いてくれる人もいる。
僕はその好いてくれる人の為にも
ライブで最高のパフォーマンスが出来るよう、
これから歌の練習をします。
もう、不安も孤独も有りません。
いや、チケットの事を考えると
いささか凹みますが・・・(笑)
でも、この世に僕の歌声を
美しいと言ってくれる人がいるんだ、
それを知った事は僕にとっては
とても大きな事でした。
そう。
僕は孤独じゃないんですよね。
僕の歌声を好いてくれる人が
陰ながら出来る範囲で精一杯
応援してくれている。
その事を今日知れて、
本当に救われた気持ちになりました。
本当にありがとう!
ブログのネタにしてくれた方や、
プチメで清浄な声と言ってくれた方、
本当にありがとう。
あなた方がいるから
僕はがんばれる。
病気をはねつけてでもがんばれるのです。
ありがとう。
ありがとう。
シンプルだけど
もっとも高貴な言葉は
「ありがとう」