正しい恋し方

時折ニュースなどで
ストーカー犯罪の事を見聞きしますが、
もちろん全員がそうとは言う事では
決して無いのですが、
二元論でどちらかと言えば
きっと女性より男性の方が
男女の別れ際となったときの
往生際が悪いような気がします。

端的に言えば
男性の方が未練がましい。

もうこれは男性の性質なのかも知れませんね。
狙った獲物は逃さない的な本能とでも言うべきか・・・。

その点、女性は
新しい状況、環境に対して
適応力が非常に高いように思えます。
これも人やシチュエーションによるでしょうが、
往々にして女性の方が別れ際はあっさりしているというか、
のちの切り替えが早いように感じます。経験上。

まあそうは言っても
凄くざっくりした切り分け方ですので、
細かく言い出したら
男女の差無く
さっぱりしている人はさっぱりしているし、
諦めの悪い人はまた、男女に限らず
諦めが悪いのでしょう。

でも決して、諦めが悪い事は
それはそれで、その事自体がとにかく悪い
ということはあながち無いのかも知れません。

結局、人を好きでいる事の本質を
どこまで理解出来ているかなのだと思うのです。

人が人を好きでいる時、
その対象となる人が
自分のそばに居てくれなければ駄目だとか、
その人もまた同じように
自分を好きでいてくれなければ駄目だとか、
こういうのは往々にして
「人を好きになる」という事とは
少し性質が違うのではないかと思うのです。
これは決して人を愛しているのではないと思うのです。

これは単に
「心惹かれる相手に執着している」状態であり、
それはすなわち
「奪う事」を意味し、
自身の中にある「枯渇」が
美化され正当化されるべき理由に
すり替わったものではないかと思うのです。

本当に人を好きになるという事は
こういう事ではないと思うのです。

本当に人が人を好きになった時というのは、
なんというかもっとおおらかと言うか、
自由と言うか、開放的とでも言うのか。

別に好きなその人が今ここに居なくても、
ともすればもう会えない人であっても
好きなものは勝手に好きなだけだし、
それは自分自身の思うところであり
誰に従うものでもないのでしょう。
しかし同時に、その好きな相手が
自分を選ぶも、選ばないもまた
その相手次第、相手の意思を
きちんと感覚的に認めている。

だから別に二度と会えなくても
自分が好きであるならその想いは
完結されるし、
たとえ拒絶されようとも
自分が好きであるならその想いもまた
自分の名において認められる。

こういう心境、境地というものこそ
「正しい人の好きになり方」
なのかも知れないと思うのです。

自分の想いには素直に、
かつ相手の意思も最大限に尊重する。

それで相手が振り向いてくれたなら
それがいちばんベストだし、
最高のハッピーエンドでしょう。

けれどそうならなくても、
自分が好きな気持に蓋はしてはいけないと思うのです。
どのみちそんな事して
苦しい想いをするのは自分なのですから。
相手がそばに居ようが、離れていようが
結局自分の好きだという気持は
常に心にあるのだから、
これこそが本当の普遍的な恋心だと思うし、
また真実の恋心であると思うのです。

その人が離れてしまうと、
自分の恋心が分離してしまうように錯覚するから
留めておこうとするし、執着もしてしまいます。
またそれは
「その人がここに居るから真実である」
という条件付きの愛情となってしまいます。

好きな人がどこで何をしていようが
それはその人の自由。
けれど自分がその人を好きでいる事もまた自由。
そう思えた時
無条件の愛情が発露するのでしょう。

この時感じる愛は
本当に大切にした方が良いし、
また幾つも持っていても良いのでしょう。

手放せば手放すほどに
真実の愛へと近づいていく。

これは決して寂しい人間の口実ではないと思うのです。


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