100点採るまで上がれない

今日は昨日の話の補強的な内容です。

結論から言うならば結局、
人は「生」にまつわるあらゆる事すべてを
肯定するまで生かされるのだと思います。

自らのエゴによる強制退去があり得ないのが
人の人生であり、命の本質なのだと思うのです。

人は生きていて、
過去に体験した何かしらの事に、
ほんの一抹でも
何らかの悔いや、肯定、納得できない
感情を抱いている限り、
それらを正すために
人生の中で同じような体験を繰り返すものなのでしょう。

いわば、
「100点を採るまで出られない世界」
それが「人の生」なのだと思うのです。

100点が取れないうちは、
この世界から抜け出しても
何度でも呼び戻されるのです。

しかしそうそう簡単に100点など採れません。

人生の評価、ここではもう少し深く突っ込んだ意味合いでの
「生の評価」とでも言いましょうか。
これは実のところ、減点方式で評価されているのだと思うのです。

人をして生きて、
この人生に於いてこういうところが足らなかった、
そう感じるものの数だけ
人生の評価点は減点されていきます。

誰が減点する審査をするのか。

それはもちろん自分自身です。

ここで人は足らないものを補完しようと
躍起になって生きますが、
足らないから満たそうとするほどに
満たされないのが人生の本質なのです。

つまり人生を全肯定するには、
まず人生の評価を落としているのは
自分に他ならない事に気づかなければいけないし、
そしてまた
そういう評価基準というのもまた
自分が作り出した幻想であるという、
もう少し難しい部分にまで
アプローチする必要があるのです。

こう、言葉でいうのは容易いですが
人は皆、これが出来ないから
人生で躓き、悩むのです。

人はここに悩んで
既におよそ1万年も躓き続けてきているのです。

今発見され、知られている文明というものが
勃興するか、あるいはそれ以前から、
そこに詰まって、
未だに人は「人として」生かされているのは、
それほどに
人がひとりひとり
人生の評価に満点を付けられないからであり、
この「100点を採るまで出られない」地獄を
何度も生き、生まれ変わらされるのだと思うのです。

そして多分、
もし人が自分の人生に100点を付けられるような
評価が出来るようになった時、
「人でいる意味を持つ必要」が無くなるのかもしれません。


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