人は普通おいそれと「人生万歳」とは言えない

それでもやはり、
人生というのは結果論なのだと思います。
無情なようですが。

しかし、ここで言う結果論というのは
決して自信の外的要因から来る結果とは意味が違います。
むしろ、外的な条件などが結果をもたらすのは
もっと二次的、それ以降のそれこそ「たられば」の話であって、
自分をとある結果に落とし込んでいるのは
誰でもない。自分自身なのだと思います。

自分はこうだと結論づけた時、
それは結果となります。
最終的にそれが何一つの無理も矛盾もない結果であれば、
人生というのは、それがやってきて
そして受け入れて、やがて去っていくのでしょう。

人生に於いて一つの答えを導く時、
それは未来永劫、
破綻や矛盾のない結果でなければならないのでしょうが、
それほど人間というのは賢くありません。

人ひとりの人生の長さでは
未来永劫というスパンを見通した答えを
導き出すには、あまりに短いのです。

この短い期間の中でそれでも人は
その答えを知らなければならないし、
それを知るために
人生は何度も似たようなシチュエーションを
繰り返し経験して、
そして悟っていくのだと思います。

人ひとりの人生というスパンに於いても、
人類の歴史という長いスパンに於いても、
何度も繰り返して
正しい結果を導き出すまでそれは
永劫に繰り返されます。

だからその人生というのは
必要なのか不要なのか、
それを判断するには
人間はまだあまりに愚かすぎるのだと思います。

今ここに生きている理由を、
否定の観点から考えると
道を違わせるのかもしれません。

自分は何故今生きているのか。

それを完全なる肯定によって
死を選べる人など、
きっと人ではないのでしょう。

そこまで突き詰めて、
なおかつあらゆる「生」によるあれこれを
全肯定出来た上で、
ともすればその選択が間違いであって、
もう一度それをやり直すため、
同じようなシチュエーションを招くであろうことを
理解できるのであれば、
死を選ぶのも良いのかもしれません。

しかし、死を選ぶ前に
心底、一点の曇りなく「人生万歳」と
言えなければならないのです。
何一つの卑下もなく
ただただ満足と誇りのみをたたえて、
「人生万歳」と言えてもなお
それでも死に行くというのであれば。

並の人間であれば、
きっと死ねない。
何故なら完全なる肯定のもとに
死を選ぶということは、
それすなわち
自分を殺す行為であるという結論に達するから。

自分を殺したという
結果を得ることであり、
そこにまた何かしらの因果が及ぶのだと
知るべきなのだと思います。


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