人の理は詩の一遍で片付くのかも知れない

2年くらい前まで、
僕は結構な数の哲学書とか、
そういうものの解説書というのを
よく読みました。
本当にたくさん。

ここでいう哲学書と言うのは、
いわゆる自己啓発本とかそういうのとは違います。
本格的な、例えばよく読んだのは
サルトルだとかでしょうか。
それか、聞いた事の無い(その筋では著名な人なのでしょうが)人が
噛み砕いて解説してくれた本の方が多かったように思いますが。

加えて、西洋の人の哲学をよりよく理解するには、
この場合、特にカトリックなど「信仰を持った民族」の人が考える
哲学や、倫理というものを理解するのは、
キリスト教の信仰という素地からの発想がないと
「考えの筋」が見えてこなかったりするので、
やはりキリスト教やユダヤ教の価値観を
触りだけでも知る必要があったし、
そこから転じて比較するように
一方で、仏教的世界観というものも
勉強する必要がありました。

おそらくこういう事を
深く知ろうと思うと、これからもまだ
勉強する必要があるし、
本だけでは得られない叡智というのもあるのだと思います。

こうした物事をもっと深く理解するために
まだまだ僕の中の哲学は極められるべきなのだとも思います。

ただここ最近、
まあ最近の場合はライブのリハーサルだの
ニューアルバムの制作などで
じっくり本を読む時間が確保できないという事も
原因としてあるのでしょうが、
今こういう人の中の内的な哲学的世界観というものを
長々と論理で弁証する本というものには、
いささかお腹いっぱいになってきた気がします。

それはまだ未消化な部分もあるのだろうし、
もしくは単にめんどくさくなったり、
飽きたりしたのかも知れないのですが。

こういうモチベーション、視点で考えると、
やはり内的な気づきというものは、
何冊もの本で論理的に説明される事だけでは
何かが足りない気がします。

というか、そうしたものの本質というのは
もっとコンパクトでシンプルなものである気がするのです。

確かにそれを丁寧に説明するなら、
何冊もの本になるのかもしれません。
しかし、何冊の本にしても
真理は遠いままなのだろうなと思ったりとか。

思うのですが、
今の僕にとって
そういう延々と文章を書き連ねたものを読むより、
きっと一編の詩の方が
心にフィットするし、
そこにこそ真理の瞬きを感じ取る事が出来ます。

多くの哲学者はきっと、
人というものをその枠から出て
俯瞰し、客観視する事で
何たるやを知ろうとしたのでしょうが、
所詮、人の考える事であるし、
またそんな人の成す事柄もまた
人の考えた事に過ぎない。

人でない領域から
人である事を長々と弁証するより、
人が人として物思うその想いを
ごく短い詩にしたためたものの方が
より人とはという問いかけの答えを
暗に示唆しているように思えるのです。

おそらく人とはという問いに対しての答えというのは、
一編の詩ほどの文字数で
説明がつくような気がするのです。

まるでデータベースのような
長い高弁は要らない。
人が、人類が後世に
有益に残す事の出来る
メディア、フォーマットがあるとするなら、
それはやはり詩なのかもしれないと
感じたりします。


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