音楽の真贋

おしなべて日本人という民族は、
音楽に対するリテラシーが低いと言えると思います。

それは音楽にに対する理解力の
素地としての文化的な影響によるところも
大きいように思えます。

実に多くの日本人の場合、
新しい音楽に遭遇した時の反応として、
自分の経験則から知り得た音楽の中から
似た特徴のものと照らし合わせて
論理的に理解しようとします。

大きく解釈すれば
日本人だけがという事ではなく、
人とはそういうものなのでしょうが、
こういう思考は
実のところ、この部分からすでに
音楽を理解することの本質から
離れていくアプローチで、
未知の音楽に接しているのだと考えます。

逆に経験則で知り得なかった音楽を
良いものとして認識するだけの
「自信」が無いとも言えるかもしれません。

音楽というものは、もっと感覚的な次元で
理解されるのが普通なのですが、
なまじ、経験から得られた論理がそれを阻害するのです。
あらゆる音楽を知り尽くそうとも
論理的に理解しようとすると
本質を見失うものなのです。

実際のところ、日本に限らず
トレンドというものは
そういうものなのかもしれませんが、
日本人の場合、
根本的に「自分の感性に自信の無い」民族ですから
ひとりが右を向くと
みんなが右を向いてそっちが正しいと、
たとえ自分は必ずしもそう感じてはいなくとも
みんなが右と言うからそうなのだろうと
思ってしまう傾向があるように思えます。

たとえ左側に本物があったとしても、
一部の人がそれに薄々気づいているにもかかわらず、
みんなが右が本物だと言えば
そちらが本物なのかと認識してしまうのが
日本人なのです。

ものの真偽に、それを客観的に
読み取って精査して
明確な答えのあるものであれば、
誰かが間違いを論理的に指摘し正す事も出来ますが、
抽象的で感覚的な事柄となると
瞬く間に水掛け論になってしまうのは、
自分の信念に自信が無い事もあるだろうし、
帰属意識や全体意識から
抽象的なものを示し、それが自分の答えである事を
明示できないのは、
やはり日本人の弱さだと思います。

抽象的、ごく個人的な概念であっても、
本当は答えがあって、
それはいくつもあって、
いくつもの正解の複合で世界が出来ている事に
気づかないと、
散らばる抽象的な概念の統合が出来ないし、
統合できないうちは
表層たる論理の次元でものの是非を
評価せざるを得ません。

音楽というのはこういう
論理の境界の向こう側に存在するそれを
楽しむものだという性質上、
まずそこが見えてこないうちは
音楽以前に、芸術全般に関して
雲を掴むような事柄を語っているようにしか
思えないのかもしれません。

それ故に、
本質を充分に理解した本物の音楽より、
それっぽいものをなぞっただけの
詐欺師の方が賞賛される。
いや、むしろ本物のする事より
詐欺師のする事の方を好む、
それが日本人の感性なのです。

この時、偽物が本物になるのです。

そこに、何が良いという概念はありません。


応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪

にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村


「風は群青の空をそよぐ」
2013年5月25日発売!

・歌詞カード付きCD-ROM(限定)の購入は

コチラ←SOLD OUT!


夏のカケラ on Radio たまにTVでは
ご紹介するお便りを随時募集しております。
完全匿名制ですので、お気軽にお便りを下さい!


お便りはこちら!


コメントを残す