マーケティングの偏重は市場を腐らせる

長く生きていると、
例えばテレビなどで
いろいろ宣伝される商品など
そんなあらゆるものに対して、
「これはマーケティングをきちんとした結果なのだろうな」
というような裏事情的なものも
見えてきたりするものです。

例えば音楽で言うなら、
今よくテレビやラジオでかかるような
日本の音楽というのは
本当にしっかりマーケティングされていて、
聴く人の趣味や動向というものに
しっかり合わせた音楽が作られていたりします。

簡単に言えば、
いろいろリスナー、
つまり消費者が買いたくなるような音楽を調べて、
そういうものが作られているのです。

最近の音楽はレベルが低いと嘆いたところで、
そのレベルが低いと思うようなものが
売れるから、そういうのをよく聴くのであって、
絶対論として音楽が低俗になったというより、
聴く人の感性が低俗になったと言った方が
正確なのかもしれません。

いずれにしろ、
会社は「買ってくれる人のために」
商品を供給します。

これは「商品を売る」事を考えれば
至極当然の事なのは言うまでもありませんが、
ともすれ逆に言えば
皆が皆、売れるもの「だけ」を市場に流通させるという事は、
商品の持つ多様性を奪う事でもあったりするのです。

かつてAppleのスティーブ・ジョブズは
このようなことを言ったそうです。

「消費者は自分が本当に求めているものが何かを知らない」と。

つまるところ、
だから生産者がある程度ビジョンやコンセプトを
あらかじめ消費者に与える必要がある、という事なのです。
そうやって生まれたのがMacですし、
iPodやiPhone、iPadなわけです。

これはApple製品に限らず
あまたある会社のあらゆる商品に当てはまる事で、
当然そこには音楽も入ります。

実のところ、リスナーというのは
本当に自分が求めている音楽というものを
意外と知らないのです。
たとえそれが音楽に対して心得のある人でさえも。
それどころか、
おそらく僕のように音楽にどっぷり浸かっている人間であっても、
自分の求める音楽とは何かという自問は
何十年やっていても付いて回ります。

そのような答えを出す事が難しいものであるが故、
「いや、自分はこれを信じている」という
信念が求められるのですが、
少なくとも日本では、と言うか
特に日本では、
ソリューションを提起する側の生産者が
あまりに消費者の動向を気にしすぎて、
また平均化されすぎて、
一切の個性がない、
アイデンティティを持たない製品しか作れなくなってしまいました。
もちろんこれは音楽も、音楽以外のものでも同じです。

売れるものとはという答えを導き出すだけで、
実際に結果も出るし
マーケティングが出来ていると思ってしまうのでしょうが、
これはマーケティングをしたのではなく、
ポピュリズムに迎合しただけの事。
マーケティングで出てくる数字というのは
売れるものを言い当てているのではなく、
単なるポピュラリティの分布、特性に過ぎず、
そこから導き出される解というのは
マジョリティはどこにあるかという点だけです。

単にそういうポピュリズムに合わせただけだから、
長く続かないし、
それを延命させるために
どんどん薄利多売になっていくのでしょう。

とりあえず音楽を例えに挙げるなら、
本当に皆、
同じような曲に、同じような歌詞やメロディを付けて、
同じような発声法で唄っています。
それは誰かと見てみると
皆同じような服を着た、同じような顔の人ばかり。

しかしこれがマジョリティの好みであるから、
そういうものを売り出しているのです。
たとえ薄利多売になろうが。

まあこれは、日本に限らず
世界的な傾向でもあるのですが、
とりあえず日本に限ってのみ見た時も
日本人にとってそういう事をすれば
それが売れるのでしょうから、
それはそれで仕方がない事なのかもしれません。
そういうものが売っているのが「市場」なのですから。

しかし、皆が同じという土壌の中では
ブランドは生まれないのも事実です。
ブランドは他と違わないと
ブランドになれない。

そして悪い事に、
日本の文化として
一つの同じ土壌のところに
変わり種が生まれると、
それを育てないどころか
悪い芽として摘み取ってしまう事が
多いのも実情です。

進化というのはいつも、
同じ種の中から
ある日突然、変種が生まれ
それが種全体の進化へ導くものなのです。
もちろん、悪性の変種もあり
種を滅ぼすような変種もあるのでしょうが、
そういうリスクも含めて
変種には種の存亡を左右する力を秘めているのです。

ここまでは、ちょっと考える頭を持っている人なら
誰でも心のうちでは思っている事です。
そういう人は言います。

「気持ちは分かるんだけどね。
けれど売れるものじゃないと作らせてくれないんだよね。
お金が儲からないと給料も出ないし。
それでも自分のやりたい事があるのなら
よそを当たってよ」と。

市場原理が変種を受け入れない環境を作って、
無難で変わらない事を引き換えに
全体が収束していくことを選んでいるのでしょう。

そして変種を受け入れないのは、
実はそういう市場原理という
目に見えない影ではないのです。

変種を受け入れないのは、
前述のスティーブ・ジョブズが言った
「自分が求めているものを知らない人」なのだと思います。

市場原理も社会体制も耐用年数というものがあります。

昔から、世の中の仕組みの耐用年数に近づくと
何かしらイノベーションが起きて
新しい枠組みが出来ていきました。

しかし日本ではイノベーションを起こそうとする人は
枠の外に追いやって、
何も事が起こらない選択をします。

事なかれで、平坦に生きていく代わりに、
進化、成長をしていく事を止めたのが
日本人と言う民族なのだと思います。

進化というのは
そのきっかけは唐突にやってきますが、
時間に対して正比例的に広がってはいきません。
最初のイノベーションの鼓動は
実にゆっくりかつ、弱い。

日本人はそうしたイノベーションが
インフレーションを起こすまで待てないのだと思います。
またはインフレーションを起こされると都合の悪い
社会というのも存在するのも事実です。

だから日本でイノベーションは
インフレを起こす前の
ごく緩やかで、力の弱い時期に
是正しておく。
これが今の日本人の社会のやり方なのでしょう。

無理な延命が
かえって状態を悪くさせる場合もあるのです。

そのうち日本人は
蒸発するように気づかないうちに
消えていくのかもしれません。


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