ギャップの溝に挑む

何年か前、このブログの記事でも紹介しましたが、
とある人の本の内容で、
今自分がここにいるのは
ここでなくてはいけない、何かしらの意味がある。
という事を、
「神様が植えた場所で咲きなさい」
という言葉にしたものがありました。

その本を読んだ時は、
その時の自分なりに
その時の自分の身の丈程度に
理解したものでしたが、
あれから数年、
この言葉は人生経験によって
いろいろと深みのある洞察を与える
言葉だなとつくづく感じます。

自分を引き合いに出せば、
これまさに
今、自分がここにいるのは、
僕が今ここに居る必要があるからなのだと思います。

それはもちろん、
物理的に今いる場所でもあるし、
自分の社会的な立場であったり、
自分の内的な自己評価でもあったりします。

今の自分は、
今、ここで今の自分である必要があるから、
今の自分のままでいる。

これは完全な自己肯定な訳ですが、
人間、自分を100%肯定できている人など
滅多にいないと思うのです。

本当に100%自分を肯定できていると
言い切れる人がいるなら、
その人はおそらく覚者か
自己欺瞞を抱えた人なのでしょう。

大抵の人は、
自己評価と対外的な客観的な評価とのギャップに
程度の多少はあれど
もがいているもの。
それが人間だと思うのです。

人生というのは、そういう
自分の中の認めたくないギャップを
受け入れて、そこから何をする人になるかが
大切なのではないかと思うのです。

ギャップを受け入れられず、もがいているうちは
単なるもがく自分でしかありませんから、
結局もがかなければいけない状況に
自分自身を追い込んでしまうもの。

ギャップを受け入れ、
ありのままの自分を認め、
そのうえで今、自分が
望む自分であろうとする時、
そのためにはいったい何が出来るのか、
何をやるべきなのかと
考慮できた時、
人生はそのギャップを埋めるために
ようやく動き始めるのだと思います。

とは言っても、いきなり世界が180度変わるようには
その溝は埋まらないでしょう。

おそらく初め、本当にごくごく初めというのは
自分の考え方や行動しか変わっていない事に気づくと思います。

多くの人はそこで諦めて、
またもがき始める。
きっともがくことに慣れてしまっているから、
もがいていた方が居心地が良いのかもしれません。

今自分の置かれた状況の中で
最も最善な結果になるよう、
ほんの些細な事でも積み重なっていくにつれて、
ギャップの溝が次第に浅くなっていく事が分かると思います。

それは明日や来週に埋まるようなものではなく、
数年、ともすれば10年以上積み上げて
ようやく少し溝が埋まったという程度の事なのかもしれません。

けれど、溝が深い分だけ
人生のチャレンジとしては意義深いです。

腐らず、焦らず、確かな事をやっていれば、
溝はやがて埋まるのだけれど、
深い溝ほど人は埋めたがらない。

だから人は何度も産まれては
同じ事を繰り返すのかもしれません。
やり遂げるまで何度も、何度も。


応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪

にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村


「風は群青の空をそよぐ」
2013年5月25日発売!

・歌詞カード付きCD-ROM(限定)の購入は

コチラ←SOLD OUT!


夏のカケラ on Radio たまにTVでは
ご紹介するお便りを随時募集しております。
完全匿名制ですので、お気軽にお便りを下さい!


お便りはこちら!