自分の内側で死ぬか、外側で死ぬか

以前、人間の「死の取り扱い」について
言及した事がありました。

生命の本質や、
精神の発現の何たるやを理解できないうちは
やはり頭ごなしにでも「自死」という行為は
否定すべきものなのでしょう。

そのような内容のお話でした。

今回はもう少しこの事について
掘り下げてみたいと思います。

前回言及した記事では、例えとして
アポトーシスという言葉を使いました。

細胞を持つ生物は、
全体の身体の状態をより良く保ったり、
成長させるために、
自ら進んで死んでいく細胞というのがあります。
これは元々細胞自体が持つ正常な働きで、
植物であれば例えば枯れた葉を切り離すような働きや
動物ならば、このアポトーシスという働きがあるから
出てきた癌細胞が増殖せずに健常な状態を保てていたりとか、
「自らが死んで、その場から離脱する」
という状態そのものは、
自然界に於いてはごくありふれた現象なのです。

そこで行き当たるのが、
ならば何かしらの正当な理由がある場合、
それが完全に摂理に適った理解の元に
それを正当化させるに十分な理由がある時、
果たして本当に自殺は悪であると
単純に断じる事は出来るのでしょうか。

ここで言う自殺というのは、
最初にイメージされるような自殺だけを
自殺とは言いません。
それに加えて、
例えば車に轢かれそうになった子供を
庇うために身を挺して
突進してくる車に身を投げ出して死んだ人だとか、
はたまた罪を犯し
死刑になった人もまた
結果としてその本質は自死として
自殺の概念として包括する事が出来るでしょう。

上記の二つの事例に於いて
結果として、その命を断った人は、
その人が死ぬ事によって
何かしらの秩序が保たれたのです。

特に先の事例の1番目などは
自らの命を引き換えにして
別の命を守ったのでしょうし、
罪人の例に関しても
その犯した罪が死刑になる事だと分かって
それを犯したのならば、
これもまた結果としてこれは自死という行為であり、
その罪は自死によって均衡が相殺されたのでしょう。

不要なもの、害悪となるものは
その「場」から遅かれ早かれ離脱するものである、
そう考えはじめると
行き着く所に自分の影が見えてきます。

果たして自分は、この世界に必要な存在なのだろうか。
自分がここに存在する事で
何かしらの害悪をもたらしているのではないだろうか、と。
さらに言うなら、
今このシチュエーションに於いて
自分がアポトーシスを発動する事で、
もしかしたら全体の秩序は保たれるのかもしれない、と。

さらにまた、
自身がそれを発動させようとする事は
単なるエゴなのか、
いやそうではなく、摂理の流れとして
今死に行こうとしているのか、
その判断、評価も熟考する事を迫るでしょう。

しかしただこれだけは言えます。

生命に対して、また
その生命の終末であるところの死について、
ある一定の理解を超えると、
単純かつ頭ごなしに
「自殺は駄目」という論理について
一定の弁証を求められた時に、
自殺が悪である事を立証する事は難しいでしょう。

必要の無い存在であると言うのなら、
わざわざ自ら死を選ばずとも
自然の摂理がそのようにしてくれる。
つまり、
「お迎えが来るまで思想」とでも言うのかも知れませんが、
ではそのお迎えを使わすタイミング、条件というものを
知り得る英知を持っていたとしたら、
そして自分は今そのタイミング、条件を満たしていると判断し、
自死に対して、完全に自分の意志の裁量に
委ねられているとしたら、
その時果たして自死というものは、
必ずしも悪であると評価できるのでしょうか。

もしかすると、
自殺は悪であるという思想は、
医学も未発達で
幼いうちに命を落とす人が多く、
寿命も短く、
また人口も少なかった時代の思想の名残で、
現代の医療も倫理が問われるほどに発達し、
寿命も長くなり、
人口も飽和状態となった状況に於いては、
自殺が悪いという価値観は
現状にそぐわないものなのかも知れません。

と同時にまた
自死という行為は、
「あくまで自分を殺す行為」であり、
さらにまた
「残された人を悲しませる行為」である事は
絶対に変わりません。

これは多分、
「個人」という範囲の中にある
最も根本の倫理であり、
それ自体が「個人」という体験の中で
最も重い原罪を背負う事であり、
背負うに足るだけの
アポトーシスであるのか、
ここは充分以上に熟考すべきことであることは
はっきりさせておくべきです。

しかしまたこれも、あくまで
「自我」という境界が明確にあるレベルでの考え方で、
その「自我」の外側に出てしまえば、
自死という行為もまた
この世の森羅万象の一つの顕現に過ぎなくなるもの。

言わば、自死する時
自我の内側で死ぬか
外側で死ぬか、
この差があるだけのような気がします。

この葛藤の中で、
やがて人は「精神の眠り」から覚める事でしょう。

自死の問題に答えを出すことの出来る人というのは、
「精神の眠り」から覚めた人なのです。
眠りから覚めて目を開いた時に見える世界に
その問いの答えは見えるのだと思います。


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